武田俊

2023.10.27

空中日記 #104|平日お昼の袋ラーメンと「熊の場所」

10月2日(月)

午前執筆。ずっと妊娠のエッセイを書いてた。おひるは袋ラーメン。最近、上に乗せるものをわざわざ別で炒めるのもめんどうで、めんどうというより、洗いものをできるだけ減らしたくて、麺をゆでるお湯に直接ぶちこんでしまうようになった。韓国の人たちはけっこうこういうふうにつくっているのを映像で見たからだ。今日はたまねぎと、魚肉ソーセージをお湯に入れたつくった。平日のお昼の袋ラーメンって、たまらなく楽しい。

午後、エクセルシオールで執筆。がんがん乗ってきて、あとちょっとで全部書き切る、もうラストのパラグラフってところで、目の前に蚊が2匹ずっと飛び交っていて、その2匹はなんだか仲が良さそうで──なんて見ていたら認知資源をぜんぶ持って行かれた。
夜はおさぼりカレー。執筆再開とけがのために運動習慣を手放してしまっている。運動しなくなると、むしろおなかが空いて、胃が拡張しているのかふだん夜に炭水化物をとらないのに、とってもまだ空腹で恐怖。からだは理不尽。

◎本日の総生産量:5429字
量はいいが、エッセイと日記のみ。『青の輪郭』頼むぞう。

10月3日(火)

昨日寝る前に、ふとTwitterを見ていたら押見修造『血の轍』が完結して、その感想みたいなツイートを見かけた。『悪の華』の人だよな、と思って、気になって検索するとWebで無料でそこそこ読めることがわかり、読んでしまう。一気に無料で読めた5巻まで読んでしまう。とんでもない作品。半自伝的な作品ということもあって、ガンガンに食らう。こわい。それで眠れなくなっていたら、2時くらいにじゅんちゃんが起きてきたので、呼ぶ。「あ~、読んじゃったかあ」といった彼女は全巻発売日に電子で買っていて、すごい作品だと思いつつも、これはぼくにとってはある種の有害図書たり得る、ということで秘密にしていたそうだ。

アカウントを借りて、そのまま読み続ける。12巻まで読んだ。やはりとんでもない作品。でも落ち込むのではなく、異様に高揚する。自伝的な内容で、いってしまえば小さな世界の話なのだけど、こんな表現のしかたができる、という希望がある。どろっとじっとりとしているテーマなのに、コマ割で刻むカットと、構図がはちゃめちゃにクールで、それで展開していける。主人公を通してのみ描かれるから、そこに「信頼できない語り手」的な効果も生まれていて、それって私小説でできること、でもあると思う。5時近くまで読んでなんとか眠ろうとする。

9時に起床。結局遅くまで起きていても、もうあまりうまく眠り続けることができない、ことを知る。でも起きても元気。そのまま『血の轍』を最終巻まで読む。終盤、どう落ち着けるのかなと思って、序盤ほどのドライブはもう効かせられないだろう、と思っていた。こういう着地のさせ方なのか、と思ってあとがきを読んで、それでさらに食らう。終盤の巻末に著者のエッセイのようなテキストが掲載されていて、虚構と現実のあいだの、不安定な空間の味わいがあった。

元気だと思いつつ、これは一時のことで、それは執筆に充てるべきだと思い、予定していた中央線沿線のリサーチと、それにかこつけた食事の予定を両方キャンセルさせてもらう。目測は正しくて、お昼以降ダウン。2時間以上昼寝をしたり、転がったりしていた。

10月4日(水)

寝ても覚めても頭痛。頭痛持ちではないので、とてもつらい。ひどい天気なので気圧の影響もあるだろう。次第にどんどん気分が落ち込んでいき、夕方以降の予定もキャンセルさせてもらう。

昼、じゅんちゃんがモスバーガーを買ってきてくれる。

じわじわと希死念慮がやってきて、意識が確かなままフラッシュバックが連続する。あの夏の日に引き戻される。練習試合中に、試合を止めてまで殴られ続ける。手のひらからこぼれ落ちていく鮮血が、からっと晴れて乾ききったグラウンドのさらさらとした土が吸い込んでいって、そこだけ泥のようになっている。自分の半分はあの日に釘で打ち込まれたまま、永遠に殴られ続けている。半分死んでいる、死に続けている。「『血の轍』読んじゃったせいもあるんじゃない?」といわれて、怒ってしまう。そんな簡単なことじゃない、といいながら、どこかでそのせいもあるよな、と思いかける。こうして日記を書いて振り返ってみると、全部とはいわないまでも、確実に影響はあると思う。作品から直接受けた衝撃とは別で、それを読んで自分にまつわる様々な記憶やシーンが呼び起こされて受ける衝撃、のようなもの。扉を開いてしまったことで、より業火が舞い上がるバックドラフトのようなもの。

「私はずっとあなたのことを大切に思っているよ。だから、そういう自分の身体も大事にしてほしいの」

とじゅんちゃんがいってくれる。
いつもそういってくれる。そのロジックも心も理解できている。なのに、なんでしっくりこず実践できないのだろう、と思っていた。
すると自分の口から

「いつもそういってくれてありがとう。でも、うまくできないの。この身体は気持ち悪い。あの日、何も言い返せず反撃もできず、殴られっぱなしの身体なんて愛せない。そんな身体ぐちゃぐちゃになって、消えてしまえばいい」

という言葉が出てきた。そういう気持ちだったのか、と自分で驚き、でもそりゃそうだよな無理もないよな、と思う。ほんとうに体調を崩しきった時、あの日の暴力の主であり、その後も執拗にぼくにさまざまな種類の暴力を加え続けた野球部顧問の現住所を訪ねて、一矢報わなければならない、と強く思ってしまうのは、こういう自分の身体への意識からか、と思う。身体を自分自身に取り戻すために、「熊の場所」に戻らなければならない。でもそれでは、犯罪になってしまう。

とんぷくを入れて、意識が消失するのを待つ。どうやってぼくは身体を取り戻せるのか。

10月5日(木)

ひどいお天気。昨日みたいな日は、いったん寝てしまえばクリアになっているのがいつものことだけど、今日は全然ダメ。頭痛、重力数倍。久々にUberで麻婆天津飯。おいしいはずが味がしない、なるほど、と思う。新規プロジェクトのMTGがあって、これは楽しみな仕事のはずなのにぼんやり。終わってソファに倒れ込む。

夕方じゅんちゃんから連絡がある。定期検診の中で、最近胎動が少なめに感じると報告したらモニタリングのために入院を進められたとのこと。すぐ指示にしたがって、入院のための準備をする。出産入院のための用意をちょうど昨日したとのことで、そこにバスタオルとハンドタオル、印鑑、めがねを加えて車で持って行く。思っているより自分が緊張しているとわかったのは、マスクを持たずに病院に向かっていることがわかったとき。履いてた短パンに入れっぱなしにしてたマスクで院内へ。来なれた場所だが入院のためのフロアははじめて。お部屋もきれいで快適そう。6人部屋で、じゅんちゃんしかおらず、ぼくも泊めてもらいたい気持ちになる。

家に戻ったら、気分の落ち込みが終わっていることに気づく。ショック療法的な、なにか、だ。他人のピンチには強いのだ、と思い出すも、火事場のなんとやらでしかないぞ、と思い直す。袋ラーメンを雑につくって食べ、なにか映画を見ようと思い、『LAND』を選ぶも途中で寝てしまう。もう今日はやめにして、21時半にふとんに入った。

10月6日(金)

5時に目が覚めた。授業を終えて急いで代官山へゆく。ダイカンヤマパンダというナチュールワインと点心ほかモダンチャイニーズなお店。ラムのシュウマイと、真っ黒に煮込んだお肉がおいしい。最近、はないくん、いまいくん、奥村とのあいだで話した、教養=下半身筋力、遠くに届ける力=上半身筋力、文化と社会と経済をつなげる力=体幹、の理論をはなして、じゃああれはどうだ、ほかはどうだ、なんて色々話す。
「それなら、あれは下半身ですか?」
「いやー、どうだろ、下半身に見えて上半身なんじゃない?」
などなど。
『火の鳥』は下半身、というのがひとつの盛り上がりになった。そのあとタクシーで移動して、池尻大橋の混混へ。久々にタクシーに乗ったら、代官山→池尻なんて一瞬だった。金曜の混混はとても混んでいて、席なき場所に立ってナチュールをボトルでもらった。置くとこがなかったので、サッシに置く。こういうことがまかり通る抜けのあるブランディング。マンションの一室なのでバルコニーに喫煙したい若者が溜まってて、そこだけ学生時代の宅飲みみたいで笑う。窓の外を見ると、交差点で若者たちが何をするでもなく集まっていて、「ユースたちがたくさん!」と盛り上がった。コロナ以降、若者たちが町でたむろしているのを見ると、とても尊いものを見た気持ちになる。

10月7日(土)

朝、ONE見る。1週間前の短期オファーですばらしいパフォーマンスを見せた手塚さんに驚き、青木さんの敗退で……となった。グラップリングマッチは極まる瞬間は一瞬で、そこまでのプロセスをどう味わうか、なのだけれど、白帯のぼくにとっては足関節にまつわるサブミッションはまだ未知の技術体系。もっとも簡単な原理原則はわかっているものの、そこに至るまでのやりとりにあたっての細かな攻防まではまだ全然味わえていない。知らない技術は当然に楽しみにまで至れないので、もっと勉強したいというシンプルな欲望が頭のなかをぐるぐると回っている。とにもかくにも、早く左肩をなんとかして、競技復帰したい。

10月8日(日)

朝、三島に向かう。東名が右回りだけになっていて、年末までずっと工事をしているそう。ある程度の距離移動をするときは、事前に交通情報を調べておかないと、心に悪い。早めに出たのでさほど遅れずに三島広小路の駅付近につく。どこに停めようかなと思ったら、そこに父がいて、こっちこっちと差す方に大きな公営の駐車場があった。

スパイスセブンでカレー。ふたりともごぼうのキーマとポークビンダルーのあいがけ。限定のカレーは青のりと牡蠣のキーマで、1700円。頼みたかったけど、そうそうこないお店だから、シグネイチャーのメニューを選びたかった。ここは最初ひとりで来てみておいしくて、母を連れて行って、父に情報を伝えた。けど、父はひとりでは足が伸びなかったみたいで、けれど店内に入ると色々と物珍しそうに眺めたあと「俊、見ろよ。夜には、こんなにいろんなつまみがあるぞ」とうれしそうにしている。

食べているとふむふむいっていて、「なあ、辛いわけじゃないのに、内臓があったかくなってきたぞ!」と2回くらいいっていた。今度は夜にひとりで来たいみたいで、一緒に出かけたことで彼の行動の範囲が広がったり、知らない楽しさを感じたりすることがぼくにはうれしい。ぼくの行動原理はだいたいのところ、こういうよろこびだったりする。

夕方、静浦港に集合して夜の太刀魚釣り。太刀魚は東京湾でいちどだけテンヤでやったきり。専用タックルも持っていないので、ライトゲーム用ロッドとリールで挑む。出航するとすぐに暗くなって、はじめ白いライトをつけていた。横田さんに「他の船みたいなオレンジの光がいいなあ」と話していたら、途中からそれに変わった。集魚灯はオレンジのよう。テンヤからはじめて、指2.3本分の小さなのがいくつか釣れた。テンヤというのは関西由来の釣法で、ぎざぎざのおそろしいジグヘッドのようなテンヤに頭をとったいわしをぶっさして、それをワイヤーでぐるぐる巻きにする。そいつを海中でルアーのようにアクションをつけることで、釣るというもの。ワイヤーをぐるぐる巻きにするときに、血とか内臓のエキスとかがこぼれ落ちて、それが集魚効果をもたらすらしい。これをみんなは移動中にあらかじめ5個とか仕込んでおいて、1つだめになるとすぐ替えてと手返しよくやっているけど、ぼくはそもそも仕込むのに時間がかかる。

それで途中から天秤に替えた。エサは塩でしめたサバの切り身。これを2メートルのハリスの先につけて、海中をふわふわさせる。小さいのが多くて、それでまあまあ釣れた。途中でジグも試して、それでも釣れた。11匹持ち帰ることにした。どれも小さめだった。小さめな魚でもちゃんとたんたんと叩いてくれるので楽しくて、本アタリにちゃんと合わせられたあとは、ゴリ巻きしないで、綱引きしないで、相手が引いている時には少し待って、やりとりを楽しむようにした。やりとりというのは、つまり命のぶるるんをちゃんとに味わうということ。

テンヤでの太刀魚釣りは、エサそのものに針をつけて飲み込ませるわけではなく、エサに下からかじりつく太刀魚を、大きな針で引っかける釣りだ。大きな針は時に暴れるかれらの身体を貫き、裂き、最悪の場合、内臓すら露出させてしまう。だから、どうしても小さな魚でもリリースできないものもある。それがつらい。せめて、ちゃんとに一世帯が食べきれる数で、もう釣りは終わらせたい。帰航して、昨日は同じようなサイズがひとり50も60も釣れたよ、と聞いて、乗せてもらって申し訳ないのだけど、ほんとうにつらかった。