武田俊

2023.11.20

空中日記 #106|なんだかうっとりしてしまうユースの時間

10月16日(月)

絲山秋子『薄情』がもうすぐ読み終わってしまうのが、さびしい。これはほんとうに、地味のように見えて、すばらしい小説。抜けがある。抜けのある文章にとってもあこがれる。技巧を全面に出さないのに、とても技巧的なようにも思えて、そういえばもっと昔は、全面に技巧的な小説にとっても憧れていたのだけど、それは自分とは全然違うからだったのかもしれない。ぼくの文章はなんていうか、銀杏BOYZみたいな文章だ。

夜、阿久津さんゆうくんの会。ぼくは具合が悪く2回くらい飛ばしてしまって、半年ぶりくらいにふたりにあった。子どものこと、仕事のこと、ちょっとだけ格闘技のこと、執筆のこと、いろいろ話す。すぐに時間がきてしまう。時間というのはこの3人の場合、阿久津さんが眠くなってしまう時間、のことを差す。外に出て、大ガードの方にいって、コンビニに寄ってからあの大きな歩道橋に行く。3人で飲んだとき、いつからかここに行ってその上でしゃべってから帰る、というルートができて、それを久しぶりにやってみようということになった。それで上にあがって、歌舞伎町の方を眺めていると、想像していたよりもずっと感動的なものがこみ上げてきて、それは他のふたりも同じようだった。当たり前のように経験が増えたからわかることがあって、それを言葉にしてみると、居酒屋のトイレの親父の小言のような、普遍的な気づき、みたいなもので、でもそこに抗って個別具体的な言葉で語りたいんだよね、みたいなことをぼくはいった。

帰り、電車が人身事故で止まっていた。路線を変えて行けるとこまでいってからタクシーで帰るとき、知らない町の知らない道を通り抜けて、見知った場所に出るまでのあいだ、そのわずか15分ほどの道程の中に、旅そのものみたいな時間があった。

10月17日(火)

先週末から久々に仕事上でのトラブルがあって、それがまとまらない。朝一番で表参道で髪の毛を切って、その足で恵比寿まで行き、相談の時間を持とうということになった。イレギュラーなことに急いで対応する、というのが久々で、心がずっときゅっと不安で小さくきつくまとまっている。時間がちょうどいいからランチしながら話しましょう、と提案して、しかしまっすぐ行くと早く着きすぎる。じゃあ歩こう、と思って、裏道を選んで歩く。表参道の交差点から、骨董通りを進み、途中で右に折れていく。バレンシアガのお店で、店内にも前の歩道にも誰もいないのに、じっと虚空を見るようにして経っているドアマンは、今日のお昼は何を食べるんだろう。進んでいくと國學院大學があって、こういうところにあるのか、と思う。位牌みたいな形。その先に広尾高校があって、自分の地図ではここはまだ「渋谷」だったので、ちょっと驚く。東京都心を散歩すると、地名の入れ替わりが激しくて、それがおもしろくて大学1,2年のとき、いろんなところを歩いたことを思い出す。

シェイクシャックでバーガーと「フライ」とアイスコーヒーを買ったら2000円だった。ドバイで食べたらひとり4000円近くになる、という話を思い出す。危機を脱するためのあれこれを話し合い、手はずを整えていくと、少しずつ不安がほどけてゆく。できることをできるところまでやって、散会して帰路につくと、また人身事故で電車が止まっていて、迂回ルートを選ぶ。

どんな仕事の現場でも、誰かが苦しくなるのが、自分のせいじゃなくってもいやだ。一緒に仕事をする人の痛みは、自分の痛みになって返ってくる。それはぼくが優しい人間だからじゃなくて、ただシンプルにそういう共感性を特性として持っている。これは、端的に仕事を進める上で、リスクでしかないと今のぼくは思っている。何度これを体験しても慣れない。ファントムペインのようなもので、またひとりになると心はきゅっと縮こまっていった。

痛くて苦しい。幻想でぼくも痛みを感じてしまうのなら、実際に痛みを感じている当人のそれとあわせて、ふたりぶんの痛みが発生してしまっているということになる。ぼくが当人の痛みを代替できるのなら、結果としてはひとりぶんになるはずだから、世界に発生する痛みの総量を減らせるのではないか、だから替わってあげたいと思う。そんな道理や論理はないのだけれど、ただまっすぐにそう思ってしまう。それを自己犠牲、みたいに人はいうけれど、その感覚はないのだから、何かねじのようなのが外れているのだろう。苦しまぎれに、なつかし~い痛みだ~わ、と鼻歌を歌って帰る。

10月18日(水)

ベビーベッドが来る。ベビーベッドはいるのっていうところから、そもそもは話が始まって、調べてみたり人に聞くと「いやいやうちは全然布団で寝かしてるよ」という人もいれば、「作業しやすい。下段におむつとかいろいろなものがしまえるから、絶対ベビーベッドがあったほうがいいよ」という人もいるじゃん。そんなベビーベッドというものは自分で買う必要があるのと思って、また調べたり聞くと「せっかくだからここは長く使えるものを買っておくのがベスト」という人もいれば「月数千円でレンタルできる。レンタルすれば充分です」なんていう人もいて、結局子育てのあらゆる情報っていうのは共通の最適解がないのだということが改めてわかった。

結局どうしたかといえば、じゅんちゃんが調べてくれた業者からレンタルした。レンタルだけどとてもきれいなベッドが届いて組み立ててみる。組み立ててみて、それが3次元の空間に展開されれば、実感も湧くというもので、ここに赤ちゃんが寝るんだねとわくわくしてくる。11匹の猫のぬいぐるみを置いた。永遠に見ていられる気がした。

夜、ごとうさんと四文屋で打ち合わせ。なつかし過ぎる。何店でも四文屋は四文屋だった。オリハイ(オリジナルハイボール。ハイボールに梅シロップをたらしたと思われるもの)、レバ、ハツ、ハラミ、つくね、ホルモン刺しのお皿。で、煮込みをどうするかで、悩んだ。『青の輪郭』で「ぼく」が食べていたのは煮込みライスというもので、ごはんに濃い味噌味のもつ煮込みがどばっとかけられていて、その上に紅ショウガとねぎがのっている。これは大変に素晴らしいものだけど、アラフォーの現在のぼくには少し重たいもので、どうしようかと思っていたら、ごとうさんが好きな煮込み豚足というのにトライしてみようということになった。豚足ほとんど食べたことない。ひとつ頼んでかじると、煮込みの中にいたので味噌の味がしつつ、そこにさらに辛子酢味噌のようなものをつけるので、それが混じり合っておいしい。シェアしにくいから、ごとうさんもひとつ頼んで、2人でかじりながら、なんだかうっとりするようなユースの時間になった。

10月19日(木)

今週はずっと調子が悪い。先週の末から発生した仕事のトラブルが原因なのはよくわかっていて、週末から今週頭までどうやったら状況を打開できるか、今自分たちにできることには何かあるのか、チームで話し合って、緊急連絡を取り合いながら、今できることはすべてやったというところまでたどり着いた。それが昨日一昨日。そうとなれば、一旦の焦りはおさまって、それまではネガティブな状況に対して何とかよくできないか、どうやったら打開できるかと、状況をひっくり返すための緊急時のみ発生する、相対的にはポジティブなエネルギーが体から溢れ出していたように思うけれど、今はそれも過ぎてしまって、ただのトラブル根本となる要素について延々と考えを進めてしまう。

こういう状況はぼくの脳がすごく苦手で、ただでさえ歪みがちな認知の歪みがどんどん乗算的に増していって、結局こうなってしまったのも全てこの新しいプロジェクトを起案した自分がいけなかったのではないかというところまで考え続けてしまう。これはピンチだ。じゅんちゃんに相談。

「じゅんこはそんなふうに考えたことないね。何かあっても、何でもかんでも自分のせいだとは思わないよ。小島よしおですよ。そんなの関係ねぇ、ですよ」

彼女はそういうけれど、それならばぼくは真逆で「すべては私のせい!」だよ、というと2人で爆笑しあう。それから小島よしお的思考のレクチャーをしてもらう。いろんなパターンで自分の身に起きたことをまずいい、でもそんなの関係ねぇとひたすらやってみる。おお、これはなんだか、いいぞ。

それでじゃあ、オッパッピーって何だっけ、ということになる。ぼくの記憶によればオッパッピーは確かオーシャンパシフィックピースの略で、おそらく特に意味はないのだけれども、とにかく広い空間の平和を祈っている。その時の小島よしおは半分白目みたいな状態で、つまり何も考えてないけれども、けれど平和を祈ってる。空白。エポケーだな、これは。

ネガティブなことが起こる。それを自虐的に紹介しながら、そんなの関係ねぇとはねのけて、オッパッピーと適当に平和を願いながら、エポケーする。小島よしおって、なんてセルフケアなんだって話になって、ひとしきり盛り上がった。

知らない人からメールが届く。全く未知の相手からのインタビュー依頼で、媒体を知っていて、取材対象者を知っていた。先方から送られてきた企画の内容を見る限り、この企画でこの相手ならたしかにインタビューをぼくに依頼するよなあ、と思うような内容で、けれど期日がギリギリだ。そーゆーオファーで期日が迫っているということを考え、逆に引き受けることを決める。

編集者が初対面の相手に、このタイミングで依頼をしてくるという時の緊急性がぼくにはわかっていてる。できるだけしたくない技だ。それでも連絡をするという事は、必ず誰かが縁ををつないだ。その痕跡が見える。逆に自分がそういう立場だったら、誰かに相談して「〇〇さんだったら何とかなるんじゃないか」とアドバイスをもらったりして、それで確かに! と思って慌てて連絡するだろう。そういう痕跡が見える。その見知った緊急の匂い。なつかし〜い、においだ〜わ。かぎつけて、それで返信した。せめてこの自分の心にぽっかりと穴が空いたようなその状態が、誰かの足しにならないか。

10月20日(金)

そんな緊急依頼の取材は、今日の午後から。午前中、『青の輪郭』に捧げよう、と思うもうまくいかない。というか、打ち合わせして、毎日3000字書く気持ちで仕切り直したはずなのに、トラブルのせいで結局新しく書き出せていない。トラブルのせいで書き出してないとおうこと自体が逃げないような気もするが、どうしたって緊急時には緊急の動きは必要になるもので、ぼくの場合、出力先は1つに絞らないと身体が動かない。ルーティンの難しさってこれか。というわけで、この午前中執筆に充てようと思うが、午後の取材のことで脳のキャッシュがたくさん必要となり、結局取材準備をして出発。

スタジオまで車で行く。東京都心に車で出るということには、多くのお金がかかる。駐車料金、高速。特に都心の駐車場の値段が高い。この間、外苑前に止めた時は何とか安いところを見つけても、2800円だった。beamsのイベントに行くために、原宿で止めた時はakippaで予約して3000円だった。以前仕事で代官山に出かけた時はいくつも空きがなく、時間が迫っていたので、えいやで入るとそこは打ち止め3800円。一体どういうことだと思うけれど、都市に車で来るといいこともたくさんあって、これまで自分が歩かなかった道を車の速度で進む時、町どうしを結びつけているその縫い目のような道がどんなふうに循環しているのかわかるのは楽しい。ああここからがあの町の始まりなんだ。そういうきっかけって歩いてるだけだと、もっと細かなところに目が行くし、流れまで見えない。

もちろん歩いてるからこそわかる景色の変化というものはあって、それはいろんなバリエーションや効率も含めて楽しめる。実は東京には自転車を最適だと思うのだけど、またそれは別の話で、車だからこそ見える風景のつながりがある。自転車や徒歩だから見えるのが都市の毛細血管だとしたら、車で見えるのはもう少し大きな血管だろう。大動脈っていうのは恐らく電車のそれであって、それは路線図でデフォルメされて可視化される。その駅と駅の間の感覚や、それを結ぶ道路の幅、植樹されている並木の種類、止まっている車の種類、歩いてる人の服装、路面店の顔色、そういうものを実は都心の車移動はたくさん教えてくれる。

取材対象者もびっくりしながら楽しい取材の時間が過ぎて、武田さんにもお弁当が一応1つありますのでっていわれた。お弁当はなだ万のそれだったけれど出掛けに食べてきたぼくは手をつけることができなかった。これは若手ライターだった頃なら、もらっちゃっていっすよねっていいながら満面の笑みで持って帰っていたことだろう。

取材を終えて市ヶ谷。いつもと違う駐車場に停めたらここは3時間最大料金1500円と書いてあって、あまり見たことない。3時間ごとに加算されていくのだろうか、人が働く町の平日の日中、こういう形での最大料金があるということ。

授業へ行く。去年とは全く違う形式でのワークショップは時間配分が読めない。読めないのは大体いつも学生たちの作業時間で、あまり仲良くもない人間とランダムで組まれたグループでコミュ二ケーション取りながら、1つの企画をあるいはドキュメントまとめていくということには思っているより時間がかかる。

ぼくは仕事だから対価があり締め切りがあり、自分たちがかけられる時間の限界があり、できる限りスムーズにという前提の合意があるから、なるべく早く質は落とさず、仕上げようとするものだけれども、仕事ではなく、そういった手続きを知らない学生は、すべてのコミニケーションは自己紹介からアイディア出しから全てが初めてで、かつ相手を探りながらやるので時間だってかかるものだ。自分だってそうだったというか、グループワークのある授業なんてぼくは絶対取らなかったわけで、そう思うと、予想よりもなんだか時間がかかってしまうな、と思っていたこの人たちは、随分と自分よりもたくましいものだなと思う。

10月21日(土)

5時半に起きる。車で名古屋に向かう。前に行った時、カーナビで4時間ちょいという時間が表示されて、さらにそれを余裕を持って早めに出たのに、3時間半で到着してしまうという嬉しい誤算があったから、まあ4時間を切るだろうというスケジュールで出発したら、そういえば御殿場の手前で左ルートが年末まで工事なのを忘れていて焦ったけれども、そこを抜けたら新東名はガラガラで結局4時間かからずに到着する。

主治医との会話はいつでも心が落ち着く。ここに来るの来年で10年になるのか。出産が間近に迫っていることと最近の心配事をいくつか報告する。この1年くらい彼の返答は毎回大体同じで、「俊さんはもうご自身のあり方をよく理解しているし、どうしたら良くなるかずっと考えているので、それができている限り大丈夫よ、生きていれば誰だってアクシデントはありますよ。うまく対処できてますよ」といわれる。報われる、と思う。

実家に戻ると姪っ子2人が来ていて、母の誕生日をお祝いする。妹の作ったシフォンケーキに2人はたくさん生クリーム塗る。上の子は小学校2年になるが発言がたまにぼくに似ていておもしろい。2人にぼこぼこにされてくたびれて、ちょっと本読むねといって奥の部屋で横になりながら、実家にあった町田康『猫にかまけて』を読んでいると上の子がやってきて
「ねえ、にいにい。何かをしたいんだけど、それが何かわからない時どうしたらいいと思う?」なんていう。
「本を読んでみたらいいんじゃない?」
とできるだけ体力を温存できるプランとして提案すると、
「この家にある本、大体全部知ってるんだもん」
という。
「知ってる本を読むのおもしろいもんだよ」といってみたら、「えー」って不満そうにいう。ぼくも何度も同じ本を意識的に読むタイプじゃないからよくわかる。

10月22日(日)

6時に起きて、6時45分を目安に家を出る。今日は『ミルクの中のイワナ』の上映会で山梨県北斗市にある「愛と胃袋」さんへ行く。10時半からの上映に合わせて向かう。トークで登壇する時は、出来る限り上映自体に参加したい。実際に自分も見てから登壇したいと思うのは、お客さんと同じ空間で映画を見ることによって喚起される何かというのが確実にあるし、映画を見れば、いつだってこの映画を取ろうと2人で考えた時間の事や、「実は取りたいテーマがあるんよ」とあさとくんが連れて行ってくれた鶴川の釣りの帰りの中央道での1時間ほどの会話のことや、研究者の先生たちに取材するための準備に資料を読んでいた時間、次々決まっていくロケのこと、毎週日本のどこかに旅するように出かけて、あさとくん、和也くん、アキくん、雄太郎、この4人で過ごした地方の時間のこと、インタビューの時の先生たちの表情、そういうものを全部思い出す。その一つ一つをエピソードトークで話すというわけではないが、その思い出されたことによる感動が、登壇して人に向かって話すときの自分の声色を作っていき、表情を作っていくのだと思う。

愛と胃袋さんはとても大きな古民家を持っていて、上映はそこでやるみたい。20人以上お客さんがいる。ぼくも一緒になって座布団に座って見る。もうだいぶ観客に近い視点で見れるようになっていて、良い作品だなあと人ごとのように思い始める。上映が終わってトークはシェフ特製イワナのランチプレートを食べながらという趣向だと聞いていたが、さてランチをしながら自分は人に向かって話ができるのか、咀嚼音とか大丈夫なのか、そんなふうに思っていたら、ランチを食べるのはお客様だけで、登壇する我々は当然、その時は何も食べないで後でいただくということらしい、と椅子に座りながら初めて理解した。12時は既に回っていて、朝にパンを食べたのは6時だからお腹が減って、目の前のみんなのごはんがうらやましい。

トークが終わると質疑応答かと思いきや、近い席に座った人同士で簡単に自己紹介した後、感想の交換をしましょうとマダムの石田さんがいうと、みんなが「そういう感じか……まいったなあ」と照れた笑みを浮かべあいながら、向き合って話が始まった。この感じ、自分だったら感想どんなふうにいえるのかなと思っていると、想像以上に皆さんの議論が活発で、そのことだけでうれしい気持ちになる。あさと君に伝えるためにメモを取った。

それで帰り道、マダムの石田さんから須玉-韮崎間で工事があって、片側通行になっているようだから、韮崎まで下道でいかれると良いかもしれませんよといわれて、その通りに行くと、結局根本的な小仏トンネル付近の渋滞はものすごいもので、あーもう日曜日のこの時間に車で帰ろうなんていうのが甘いんだよな。韮崎から乗って最初はずいぶんとスムーズに走るなあと思ってスイスイスイスイ進んでいくと、本当にこの先渋滞があるのかということすら怪しく思えてくるが、談合坂の手前あたりからブレーキランプが大量に灯っているのが見えた。韮崎で乗ったときには渋滞13キロ60分という表示だったのが、25キロ120分以上に変わっている。この走ってる間にどんどん車が積み重なっていったのか。荒ぶって横入りしてくる車が増えた。みんながイラついているのがわかる。

コンビニでおやつを買ってpodcastでも聴きながらゆったりおやつタイムっていうことで何とかならないかと思って過ごしていたが、そうやって「夜ふかしの読みあかし」をずっと聴いていると『火の鳥』や『コンビニ人間』や『太陽の季節』など登場した本を読みたくなって、でも今は本読めないんだなあと悔しくなる。そうやってpodcastをずっと聴いていて、ふとあー早く帰って原稿やりたいな、本当に渋滞が嫌だなあと思った時に、書いてない日記が溜まってしまってて、結局帰って『青の輪郭』を書こうと思っても、まず溜めた日記の消化から始めようとか思うはずで、何とか今の時間を使って日記を立てることができないか。そう思って、今週の火曜からの分を車中全てディクテーションで書いてみた。これはなかなか時間の有効活用だけれど、小仏トンネルまできた。速度回復してください。ぼくの日記の理想はやっぱり手で書くものな気がする。ディクテーションなら永遠にしゃべれて、日記を書いているというよりも、まるで何かの朗読劇をしているかのような声です。感情が溢れてこの空間の中に添え書き解いて終わり。