武田俊

2024.1.7

空中日記 #108|生後5日目のルームツアー

10月30日(月)

起床するとメニエールのような症状があって、くらくらする。祖父が亡くなった時に最初にこれが起こって、病院に行くとメニエール病だと診断され、甘い金属の味のする液状の薬を飲んだ。今までたくさん病気とけがをしてきたけど、一番まずかった気がする。それ以来の症状で、何か大きな出来事があるとこうなるんだろうな、と思う。ゴミを捨て、最低限の事務作業をして休んで、午後病院へ。

実際のところ悩んだすえに名前はもう決まっていて、だからそれを書けばいいんのだけど、それをこの日記に書いていいのか悩む。何か特別なあだ名のようなものがあればいいのだけど、それが浮かばないのでいったん赤ちゃんで。

入院中のスケジュール表というのが病室にあるiPadで見ることができる。出産後の入院というのが、新生児育児のイントロダクションだってことがそれでわかった。ミルクは用意しておいてもらえる。おむつもストックがある。体温や体重は計測してくれる。赤ちゃんは新生児室にいて、日中ある程度は同室で一緒に過ごす。母体はまだ全然回復していないから、しんどくなったら新生児室に戻すことができる。面会は14時以降。午前のあいだ、じゅんちゃんは母乳やミルクのあげ方や、おむつの換え方のレクチャーを受けたらしい。今日は耳の検査をして、ちゃんと聞こえているとのこと。

赤ちゃんは今日も瑞々しい桃のよう。ちょうど時間だったので、ミルクをぼくがあげることにする。最初は母乳。まだあまり出なく、それでも吸わせることでだんだん出てくるという仕組み。じゅんちゃんが「おもしろいから見てみて」といった。顔を真っ赤にしてわーんと泣いていても、目の前におっぱいがやってくると、すっと泣き止み、吸い付く。そのとき急に目が真剣になる。「はい、仕事しますよーって感じしない?」とおもしろそうに笑う。たしかに。乳輪はだからサインなんだなあと思う。とてもよくできたデザイン。教わらないのに上手に吸えるって、なんておもしろいんだろう。

そのあとミルク。20cc入ってる哺乳瓶が冷蔵庫にあって、それを病室の蛇口から出るお湯で湯煎するようにして、人肌に温めてあげる。口元に持って行くと、目がパキッとなって夢中で吸っている。なんどもなんども「たくさん飲んでね~」「おいしい?」「どんな味なの?」と自然に声が出てくる。どんどん出てくる。

じゅんちゃんの晩ご飯が部屋に運ばれてきて、それを見てから帰ることにした。ここはごはんがおいしそう。今日はカレイを、なんかジェノベーゼのようなソースで仕立てたものがメインだった。おいしそう。

10月31日(火)

朝ラン。ガーミンコーチの機能を復活させて、今日はケイデンスドリルというメニュー。10分ジョグのあと、30秒ずつ、ピッチをあげて走る。最後にまた10分のジョグ。やり方があっているのかわからないまま完了。ケイデンスって自転車では親しんだものだけど、ランでもそういうのだな。そのあと何をしたのか覚えていない。赤ちゃんが生まれてから、時間の流れがつかめない。だいぶ経ったような気がするし、そうでもないような感じもする。自分の環世界にゆらぎが発生しているような感じ。15時に病院。おやつにパンを買っていって、一緒に食べることにした。今日は沐浴の練習をしたらしい。ぼくも早くできるようになりたい。

ピヨログってアプリを入れて、これがまあほんとうによくできている。体重、体温、ミルクの時間と量、うんち、おしっこ、両方、その時間。そういうのを入力していくことですべてのログが取れる。写真も入れれて、簡単な育児日記もつけれる。となると、もうこれでいいねと思うも気がかりなのは、このアプリでしか見られないのではってところで、それがPDFで出力できるという。

重要なのは複数のアカウントで共有できるってことで、これがなけれパパママ双方での記録ができなくなる。妊娠中はリクルートのたまひよってアプリを使ってて、これはこれで親しみが持てていたものの、育児パートでマルチアカウントで情報共有ができないってことがわかって、それじゃ使いものにならないのだった。看護師さんとじゅんちゃんが病院のプリントでつけてくれていた、これまでのログを全部ピヨログに転記して、ああ、これはぼくが向いている仕事だと思う。自分自身のログをつけるのは苦手だけど、子どものことなら楽しんで欠かさずできるだろう。

今日こそぼくもおむつがえをするぞ、と思ったもののタイミングが合わず。あやすこととミルクだけやる。ミルクは30ccに増えていた。昨日からもっと飲みたがっていたらしい。生まれてから新生児は一時的に体重が減るということだったけど、今日の朝の段階で前日より微増していた。底を脱したのかな?

昨日と同様、18時にやってくるじゅんちゃんのごはんを見てから帰ることにした。今日は、白身魚を揚げたやつに、中華餡のかかった、魚の酢豚みたいなものがメイン。おいしそう。

ぼくもなんかおいしいのを、と思い、帰り道にある町中華のようなところにいってみる。カウンターだけの、こげこげの厨房が丸見えのお店。塩ラーメンがおいしいらしく、チャーシュー麺塩で、と頼む。澄んだスープのきれいな塩ラーメンがやってきて、スープをすすると、ホタテのような複雑な旨みと甘みがした。カウンターの上に、汚れたケースになにかの結晶が入っていて、手書きの文字で「モンゴル岩塩」と書いてある。とてもおいしい。

このよくできたスープに、なんのこだわりもなさそうな普通の中華麺の対比が楽しい。こだわり抜いたグルメラーメンばかりになった今、それに抗うかのようなノスタルジックな「こういうのでいいんだよ」って感じの「昔ながら」を売りにした醤油ラーメンさえうるさく感じる。ネオ大衆酒場、みたいなうさんくさ。そんな時、この町の中華屋の、妙においしいスープと、まじでふつうの麺でできている塩ラーメンは、とてもいいバランスに思える。ずっと同じ仕事をしてきたお店が、いちばん尖っている、といういい見本。

11月1日(水)

保育園のあれこれは自治体によって違うけれど、ガチンコ共働き家庭で0歳から預けようと思う場合、多くのケースで認可より認証の方が保育料が割安ってことがあるらしい。というのは、役所の保育園コンシェルジュっておばちゃんからじゅんちゃんが聞いてきてくれたことで、認可一択っしょと思っていたから、大きなルート変更となった。それで、自分たちのライフサイクルの中でもっとも預けやすそうな認証保育園というところの申し込みが今日で、なんでも朝8時から受付をする、申し込みは先着順、ということだった。で、0歳児は6人枠。さて、何時に行くべきか、ということを妊娠中からずっと相談していた。

最初は、近いんだから5時起きとかで、ヘリノックスのアウトドアチェアーを持って行って、コンビニでカレーヌードルでも買って、キャンプ気分で楽しむかアハハ、なんていいっていたのだけど、さすがにそんなのは大仰すぎる。第一、早く行って、そもそも誰も並んでなくて、並ぶ文化なんて発生しなくて、そういう場合、どこかで時間をつぶすのか? つぶしている間に「誰かもう並んでるんじゃないか?」とか思ったら、つぶせるものもつぶせないよね。そんな風に話していたら予定日よりも早くに生まれてしまったわけで、ぼくがひとりで行く必要がある。それでまあ7時に現地着くらいが、ちょうどいいんじゃない? ってことになった。

6時に起きて、7時に間に合うよう家を出る。のほほーんとした気持ちで保育園の入り口を見ると、すでに行列ができている。まじかよ。これ、送り迎えのなにかじゃないの、と思い、一つ前に並んでいたグレースウェットの女性に「これ申し込みの列ですか?」と聞くと「そーなんですよ!びっくりですよね!」といわれて、あああ、と落ち込んだ。彼女によれば、手前に18人待っているらしい。前の方を見ると小さなアウトドアチェアに座り、真冬のダウンジャケットを着込み、下半身にはブランケットを巻いた完全装備。そういう人が最前から6人くらいはいて、ぼくらのイメージは全然大げさなものではなかった。コミケの徹夜組みたい。

話しやすそうな人だったし、どっちみちダメでも1時間待つだろうから、前のママとおしゃべりをしてみようと思う。最初はちょっとだけ、でもいやらしくないようにインタビューする気持ちで色々たずねる。上の子がここに通っていて、下の子もと思ったけど、まさかこんなことになるとはー!と大きな身振り手振りで教えてくれる。うちははじめての子で……と話すと、この地域の保育園のあれこれを教えてくれた。生きた声で学びがどんどん得られる。次第に話は、あるべき子育て支援について、に。

ぼくが「これ、定義上は待機児童っていないってことになってますけど、自分たちの生活をこれまでと同じ仕方でつくっていく上で、こうありたいって保育ができてる人はかなり少ないんじゃないですか?」というと「マジでそーなんですよ! ってかよく最初の子の段階でそれわかりますね、すごすぎ。あーもう、まじで一生の不覚。ほんと今こそ『時を戻そう~~』ですよ」と楽しそうに話してくれて、なんだかくさくさした気持ちが吹き飛んでいく。

まさか保育園に入る前にママ友ができるとは思わなかった。8時になってみんな申込書を片手に、ゾンビみたいにぞろぞろ前に進んでいく。ぼくは0歳児の8人目だった。枠は6人。手前の7人のうち、2人が認可との併願でそっちが受かったら、こっちに今日のが回ってくるのか、とママと話しててわかった。そうあってほしい。「保育園落ちた日本死ね」がまじで切実な言葉だってことが、身体的に理解されていく。

申し込みし終えて、さっきのママにおわかれの挨拶でもしようと目を向けると、ちょうど上の子を送りに来た旦那さんらしき人と話していて、ここで入っていくのもちょっと変な感じがするよな? と思って、駅の方に向かうことにする。カフェでも入って作業するか、と思っていたら、すみませーん! と声がして、振り返ると自転車に乗ったさっきのママだった。

「さっきはありがとうございました。なんかそれで話してて思ったんですけど、年収的に認可のが高くなっちゃうんですよね? あ、よかった。実はうちもそうなんですよ。認証、他にもあるし、がんばりましょうね! どこかで園が一緒になったら、またよろしくお願いしまーす!」

とわざわざ声をかけてくれて、こういう風に、互いに不安があることがそれぞれわかっている状況で、話しかけてくれるのはいつも女性だなあと思う。こういう風になりたい。思いを話し合って、互いが互いにエンパワーメントをしあえるような対話のトリガーを引ける人に。そういえば並んでる人のうち、イヤホンをしてゲームをしているか、Twitterかニュースアプリを、読んでなさそうに読んでるようなのは、みんな男性だった。話し合っているのは、何人かの女性同士だけだった。

午後、病院。今日はじゅんちゃんのご両親が来てくれてて、久々にお会いした。お義母さんがさすがに慣れていて、ゆさゆさしてあやしてくれる。お義父さんは「壊しちゃう」といって、ちょんちょんと触っていた。ぼくもよく壊れちゃう、と思うので、似てると思った。お義父さんはさいごに、「ぽんぽんっと、でわ!」といって帰っていって、それがチャーミングだった。

待望のおむつ交換タイム。教わって、やる。ぼくのスキルを上げるために、とも思える頻度でうんちを3回もした。習熟度が上がった!抱っこしているときに、うんちをしてその圧力が左腕に到達したとき、幸せだった。こう文字にしてみると変態極まりない感じだけど、幸せだったのだからしかたがない。今あたまの中の85%以上が赤ちゃんで、残り10パーがごはんで、最後の5が執筆欲。ちょっと少なすぎ。生活をがらっと作り直さないとな。

なーんもわかんなくて、こんなになーんもわかんないことはあまりないから、それがとても楽しい。はじめて柔術したときや、はじめての渓流のとき、こういう気持ちだった。それのもっとすごい版。じゅんちゃんは最後の晩餐的なおいわいのディナー。ステーキとか、フレンチのコースで出てくるような、複雑なお皿とか、いろいろあってうらやましい。もらいたくなるので、メニュー表を読んでなるほどと思ったら、さっさと出てラーメン食べて帰宅。男一人で、ちょっとやさぐれたようなブルースな気持ちで、でもアルコールを取りたくないときの食事の選択肢がラーメンしかないことに気がつく。出産以降の溜まっていた日記を消化する。

11月2日(木)

あっという間の退院日。午後退院し、夕方から母が泊まり込みでヘルプに来てくれることになっているから、準備としての家事をやる。大の苦手な洗濯物たたみ&収納をまずやり、知恵熱を出しながら客人用のふとんカバーを引っ張り出して、洗濯機を回し(これは平気)、その間にふとんを干し、全室の空気を入れ換え、掃除機をかけ、洗面所にちょっと見えたカビをハイターし、シンクをきれいにし、洗濯物を干し、お風呂掃除をしたらもうお昼になっていた。

お腹がすいた。昼はどうすべきか。何か買ってくるか、つくるか。あるいは早めに出て、どこかで食べたあと病院に行くか。悩んだあげく、じゅんちゃんが明日以降さくっと食べれるように作り置きついでに、冷蔵庫の中にあるものでトマトソースをつくることにする。たまねぎ、ピーマン、にんにく、鶏もも、カットトマト、あとは各種スパイス。トマトを煮詰める時間が足りないから、オリゴ糖に酸味を丸める助けになってもらう。さっとつくってパスタゆでて食べて出発。

カメラがいるぞと思って、X-E4を持って行く。昨日とんかつさんに、フィルムシュミレーターの相談をした。ぼくはポートレートを撮影することに興味がなくって、風景ばかり撮っていたから、これまで青みを足して設定していたクラシッククロームでは、人の肌がきれいに写らない。どうしたらいいかと訪ねると、アスティアがいいよ、それでホワイトバランスで赤みをちょっと足して、ハイキーに撮ったらきっといい、ということで、その通りに設定済みだった。フィルムシュミレーションの設定には名前がつけられるから、それを赤ちゃんの名前にした。

ガレージから車を出して大通りに向かうとき、緊張していた。入院期間中ほぼ毎日会いに行っていたものの、ぼくが赤ちゃんと過ごしたのは1日に2、3時間だ。あの子と今日から一緒に暮らすのだ。わくわくする気持ちと、こわいような気持ちと、不安な気持ちと、あとこれまで確認したことのない感情、それらが入り交じることで、さらに未知の感情がうずまき続け、ぼくのアクセルを踏む足がいつもより固い。固い足は踏み込みが甘くなるようで、60キロ制限の大通りを気づくと40キロちょっとでとろとろと走っていた。

病室に着くと生後5日のぴかぴかの命が眠っていた。じゅんちゃんは、やあ、という感じで手を上げた。精算し、1ヶ月検診の前に、パパママ検診というのをするようでその期日を決め、もろもろの説明を受けて退院になった。真夏のように日差しが強くって、エントランスを出たところで写真を撮ってみたが白飛びする。あきらめて、日陰で1枚。べービーシートに座らせて1枚。シートのベルトの長さが足りなくて、焦る。まさかこんな小さな新生児に対して、足りないってことはないわけで、調整できるはずなのに、その機構がどうなっているかわからない。もらい物だったこともあって、いただいたことがうれしく、しっかり取説を読んでリハーサルしておくのを忘れていた。なんとかやって、自宅へ。すごく変な気持ち。なぜか恥ずかしく、それはとても親しい友人をはじめて自宅に招いたときのそれをめちゃくちゃ濃く煮出したような感じ。

「ようこそ!ここがおうちだよ。ここで一緒に暮らすんだよ~」とルームツアーのようなことをした。ずいぶんと前から組み立てておいたベビーベッドには、これまでシミュレーションのために馬場のぼるさんの『11ぴきのねこ』のねこのぬいぐるみを置いていたけど、これにて引退していただき、赤ちゃんをのせる。「ほほう、こういうことに、なるのですな」となんだかオタクっぽいトーンの声が自分の口から出てきた。それでねこの方がだいぶ大きかったことを知る。

夕方に母が来る。今晩食べるものなど一緒に買って、3人で食事をしようと思う。と書いて、食事をしたのは3人だが、同じ空間にもう1人いるんだよな、と思う。買ってきた最高な餃子を焼き、その横でシブヤのレシピで卵をかぶせるスタイルのニラ玉をつくり、小さな五徳のとこで豆もやしのスープをつくる。久々に全部のコンロの口がフル稼働。そのあいだにサラダをつくり、新米を炊いた。大人たちで過ごしてる間、赤ちゃんが静かだと「生きてるよね?」と不安になって、何度もベビーベッドに視線を向けている自分に気がつく。

わたるから贈り物が届く。茅野屋のおだしと、おむつケーキ。おむつケーキってやつの実物をはじめて見た。なるほどという気持ち。これ、最初に考えた人はどんな人だろう。

11月3日(金)

朝ごはんを3人で食べる。母がこうやって来てくれるのは久しぶりのことで、でもこれまで何度もあって、それはぼくがひどいウツに陥っている時だ。そういう時に彼女がヘルプにやってくること自体がぼくには大きなイベントだから、テンションが上がってウツは一時的に奥の方に引っ込んでしまい、だからこうしたただ楽しく平和な朝食の風景、のようなものが広がることがこれまでもよくあった。それに似た気分。赤福を持ってきてくれたので、それも食べようということになり、ふたを開けると南向きのリビングの大きな窓から入ってくる太陽光が絶妙で、みんなで、赤福ってきれい! といいながら写真を撮った。

お世話のルーティンを身体にたたき込むように、覚えてゆこうと思いながらやる。覚えてゆこうと思いながら、その場で、より効率的に運用するにはどうしたらいいのかな、と考えている。ミルクはウォーターサーバのお湯で溶いて、そのあと湯煎の逆みたいに水で冷やす。すぐ冷やしたいから、冷凍庫の中で用もなくずっと眠っていた小さな、何かを買ったときについてきてそのままだった保冷剤を使うとよい、とか。そういう小さなぼくたちなりのハックが、少しずつできてゆく。はじめて沐浴もさせた。耳の穴を塞ぎながらお湯をかけてあげるのがむずかしい。お腹など、水につかった部分を洗うとき、あわが溶けてしまう。「溶けちゃっても気にしなくていいらしいよ」とじゅんちゃんはいうが、じゃあ泡ってなんなの、と思う。毎日のように皮膚がアップデートされていくようだから、首のつけね、脇、指など皮膚が重なっているところは、常に垢のようにめくれていくからきれいにとりたくなるけれど、それは皮膚の薄い赤ちゃんにとって過剰なようだ。案配が難しい。大人の感覚だと中途半端な洗い具合くらいで、きっとちょうどいい。

ピヨログのアカウントを母にもつくってもらい、全員が記帳できる環境をつくった。

夜、揚げないからあげ、サラダ、わたるにお祝いでもらった茅野舎のだしで、舞茸のお味噌汁つくる。

日記でもエッセイでもぼくはきっと子どものことを含めて、日々を書いていくわけで、どう書こうか考えた。名前を出しちゃうのは抵抗があって、なんせ本人の確認もできないし、かつて椎名誠の『岳物語』がベストセラーになって、教科書とかにも入ったとき、完全に本名で書いてしまっているから、思春期の岳くんはとてもいやだったそう。そのことが、増補版か完全版かの文庫のあとがきに、本人のテキストとして記されていた。そういうことは、これから先の時代もっと不幸なことになりかねないし、ということで、これからはイオと書くことにする。音の響きがいい。ゼウスの妻につかえた美しい女官の名前で、ガリレオ・ガリレイが発見した木星第一衛星の名前でもあるらしい。

文化の日で学祭のため大学が休講なので、今日の夜シフトはぼく。緊張している。じゅんちゃんの部屋に母が寝て、これはしっかり寝てもらって日中のサポートをしてもらうため。じゅんちゃんはぼくの部屋に寝て、これもしっかり寝るため。夜シフトのぼくはリビングで寝る。イオのベッドも和室からリビングに持ってきた。0時半、ミルクをあげたらすっと寝たから、ぼくもすかさず寝る。ライティングに迷ったが、リビングには遮光のカーテンを引いてないので、ライトを全部消しても少し明かりが入って、ちょうどよかった。ふぇふぇという鳴き声で目が覚めると、2時40分になっていて、みんなが起きないよう迅速にやってしまおうと思うと焦る。おむつチェック、異常なし、ならばミルク。ウォーターサーバからお湯を入れ、ミルクのタブレットみたいなのを1.5かけ。これで60ccぶん。それを溶かして急冷させる。まだ本格的に泣いてないから、急げ! それで時間をかけてあげて、げっぷをしてもらうためとんとんしていると、お地蔵さんのような顔をしている。地蔵モード。半分寝ていて、そのままベッドに置こうとすると、ぶりっと音がして、うんちとおしっこを同時にしていた。おむつを替えて、寝てもらう。ここで3時すぎくらい。

次に目が覚めたのは5時35分で、思ったよりちゃんと寝てくれている。すこし安心。おむつチェックし、交換、ミルク。冷やしている間に、哺乳瓶の除菌。レンジでできるやつを買って、これはとても便利だ。ケースに哺乳瓶たちをいれ、水を入れ、5分レンチンすれば24時間ほど除菌できていることになる。哺乳瓶は3つ入れれる、はずなんだけど、なぜか2本しかうまく入れられないのが不満。6時にイオはまた寝た。

その次は7時。おしっこだけしたみたい。ミルクはまだ早いよなあと思っておむつを替えたら、またすぐ寝た。ここでシフト的にはバトンタッチだけど、ずっと緊張状態でスクランブル発進をし続けているから、眠れず、そのまま朝の作業としての検温、体重測定、沐浴へと進む。1日の切れ目が、よくわからない。

11月4日(土)

うまく眠らないまま過ごす1日が久々で、ぜんぜん覚えていない。夜、なにか海鮮で鍋をつくろうと思って、なかなか都合のいい魚を見つけられなかったので、あんこう鍋用に各部位がまとめてあるセットを買ってあんこう鍋にする。あんこう鍋は大きく分けると2つに分かれて、肝を具とするか、スープとするか。後者が大洗での食べ方で、そっちにする。細かく切って肝をフライパンで煎って、あぶらを溶け出させながら、味噌を入れ混ぜながら火をさらに入れ、ペーストをつくっていく。これがルーみたいなもので、昆布でだしをとったものに溶かし込んでつくった。ちゃんとやると、ちゃんとおいしい。料理の幸せ。

母乳がぼくは出せないので、できることは限られていて、だからミルクは自分のタスクだと思っているようだ。つくる、冷やす、あげる、げっぷ。この流れをよくしたいと思ってやっていたら、少しずつ練度が上がってきた。特にゲップ。イオの小さな身体の中の、さらに小さな胃の形をイメージする。ミルクを飲んだらまず授乳クッションの上に座らせる形で、頭を支え顔を見ながら背中をとんとんする。リズミカルにやると、ここでだいたい1、2回出る。このとき身体は少し後傾気味だから、胃の上部の空気が抜ける、と思う。そのあと、ぼくの身体に寄りかかるように前傾にさせ、首を横に向かせてトントン。さらに、肩に担ぐようにして立て抱っこをして、さらに前傾でトントン。これでほとんど出る。これをやると、そのあとの眠りが深い気がする。

妊娠中は自分には何も変化がないこと自体に、なにか苦しさを感じていたけれど、結局生まれても子どもがいる実感はきっと男親の方が持ちにくい。

「だからさ、ぼくも母乳を出したいんだよ」
「家事もできてるし十分だよ」
「いや、全然だよ。ほんとね、じゅんちゃんに追いつけないんだよ」
「でもミルクあげてくれてるし、しゅんくんはすごくよくやってくれてるよ」
「いやいや、君はすごい! 子どもが産めて、母乳が出せるなんて、憧れちゃうよ。もうね、イチローみたいなもんだよ。ぼくが草野球選手で、イチローに憧れる。憧れっていうのは、追いつけないから生まれるんだよ。君は、ぼくにとって出産界のイチローだよ!」

と、熱弁する。出産界のイチロー?

11月5日(日)

お昼、じゅんちゃんがチャーハンを食べてみたいかも、といったので、茅野舎のだしパックを破って調味料として使っちゃう形式の和風チャーハンをつくってみる。せっかくなので、ちゃんと小鉢で型をとって、盛りつけて、その古墳のようになった上にどこかのSAで買ったスタミナ漬けみたいなお漬物を乗せた。

イオがやってきて、そのお世話をするようになってから、生活のリズムはどんどん変わるけど、その流れが留まることはなくなって(赤ちゃんがいて生活が流れなかったら大惨事だ)、その結果、チャーハンの形を気づかうみたいな、これまでなら「ま、お皿に出ればそれでいっか」みたいにしていたことも、どっちみちだしやっとくか、と思えるようになってることに気づく。これまでは、どっちみちならやらなくていっか、となっていたことが、やっとくかへ。これは自分たちにとっても、とてもいいこと。

じゅんちゃんがお散歩のリハビリをしたいといい、ふたりで外に出る。じゅんちゃんじつに1週間ぶりくらいのシャバだ。おまたが痛いので、歩くのが遅い。おばあちゃんみたいでしょ、といいながらゆっくり歩く。前に見つけた公園のそばのカフェで飲みものを買ってみようということになり、緑道をゆっくりといく。

「じゅんちゃん、これが外だよ。シャバだよ。どうよ」
「うん、いいねえ」
そういいながら11月なのにあったかいからかまだ葉の先端しか色づいていない銀杏を見たり、家の庭になっている柿を見たりしていると、ウツが明けかけてやっと外に出られるようになった時の散歩の感覚が読みがえってくる。自分のために世界が色を取り戻しているような感覚。普段ならそれは復活の狼煙として感じるものだけど、ぼくは調子が悪くなっているわけじゃないのに、感じる。じゅんちゃんの状態に、ぼくがいまなっているからか。

「おまた、痛い?」
なぜかずっとそれが気になっていて、聞いた。
「うん、痛い。出産ってさあ」
「うん」
「結局のところ、おまたを裂くか、おなかを裂くかってことなんだよね」
「こわ」
「でもさ、言葉にしたらそうじゃんねえ」
「そうだねえ。やっぱり壮絶だよね」

はじめての店について、ひげのマスターが出てきた。春みたいな秋を小春日和というけれど、今日はそれを越えて初夏みたいだ。ぼくはアイスコーヒー、じゅんちゃんはバナナジュースを選んだ。アイスコーヒーがLサイズで250円と安くて、飲んだら昔の喫茶店の深煎りな感じの味わいで、それが今の気分にあっていた。公園で、知らない子どもたちを見ながらそれを飲んでおしゃべりをした。今までなら、ぜんぶまとめて子ども、ぜんぶまとめて赤ちゃんだったのが、月齢や年齢を感じたり想像したりするようになっている。赤ちゃん界では1番の新人というくらいのイオだから、歩き出したくらいの赤ちゃんを見ると、すごく頼もしくてかっこいい先輩のように見える。

夜、白菜が余っているので、鳥肉でお鍋にする。水炊きのような気持ちで作ったけど、スープを乳化させるほどの動物性の脂がなく、結果ラーメンのスープのような鍋になってしまった。