武田俊

2024.1.19

空中日記 #109|「職質を受けることでカバンの中の本や作品を警官に見せることができる」

11月6日(月)

執筆と仕事のモードをぜんぜんうまくつくれないままでいて、それに少し焦っている。何かできるとして、よくで断続的だから、途切れながら続ける方法をつくらなくちゃいけない。今までみたいに、まとまった時間で考え、まとまった時間で書く、みたいなことは、もうできない。細切れの中で、断章をつむぐようにしなくちゃいけないんだろう。5日ぶりくらいに本を読んだら、読めなかった。ブコウスキー『郵便局員』は読めて、その気づきをメモして、エッセイの出だしを書いた。妊娠のエッセイは、育児のエッセイに変成させて続けていきたい。この日記の役割や、書き方もまた変わっていくんだろう。もっと細切れで、断章で、断片で、いい。

午後、リハビリで板橋へ。行くまで行きたくないけど、行ったらとてもすっきりするのが病院だ。ここに診察を受けにくる人の6割くらいがアスリートな気がしていて、だから専用のリハビリフロアはジムのような設備を持った広い空間。そこに、田中まーくんや、マエケン、柔道の阿部詩、そういう人たちのサイン入りユニフォームが飾ってある。全員が、何か失われた機能を取り戻すために、リハビリやトレーニングをしているわけで、そこには現状に抗うための力と空気が満ちていて、それに後押しされるような気持ちで、自宅で行うインナーマッスルのトレーニングを習う。高校生以来で、懐かしい気持ち。亜脱臼からUPSと診断名を変えたぼくの左肩は、この1~2ヶ月のトレーニングにかかっている。これでアライメントが安定し、痛みが消えればオーケー。ダメならバンカートという、靱帯縫合手術に以降する。手術をした場合、運動の復帰までは最低でも8ヶ月かかる。

すっきりして歩きたくなり、まずは池袋までと思う。北側から池袋に向かうときの道のりが久々で、ああ、と思う。線路を越えていく複雑な歩道を渡りながら、そうだ、ここは線路が川みたいに見えるんだよな、と思い出す。途中でラーメンを食べて(なんで好物でもないのに、最近ラーメンばかり食べているのだろう)、目白までさらに歩くことにする。山手線の線路沿いに南下して、目白駅に近づいていく。その奥に新宿のビル群が見えてきた時、涙が自然と両目からこぼれ落ちた。

住んでいたのは2012~2014年で、この最後の年にぼくはメンタルが完全にクラッシュして、実家に送還されたのだった。退社して離婚して、実家に戻った年。1度人生が終わって、「死んだ」年。それ以来の目白で、もうここまで来たなら、ある程度歩こうと思った。学習院の方から、目白通りを西に進んでいくと、思っていたよりも全然店が入れ替わっていなかった。たまに行った中華料理屋、お寿司の居酒屋、蕎麦屋。そういうものがそのままあって、どれもとても素敵に見えた。当時は用がないと思っていた、ちょっと高そうなお店も、あまりに地元民が多くて入りにくそうに見えたお店も、ぜんぶがきらきらと輝いて見えた。

街頭がオレンジなのがいいんだよな。行灯みたいな感じなのも、またいい。足を進めるたびに記憶の地図が蘇り、定着し直されてゆく。この、都心であるにも関わらず、どこか生活の匂いが町に滲み出していて、けれど山の手の上品さをあわせもっているというのが目白の魅力だってことに、その当時のぼくは気がついていたのだろうか。いや、気がついていたからこそ目白を選んだわけだけど、結局その時代、ぼくは町を楽しむような時間がなかった。それにすでに病はかなり深刻に進行していたから、その感性も失っていたのだった。好きだったのに、大事にしきれなかった町。そう思うと、1歩1歩がとても大切に思えて、踏み出すごとに涙がまた新しくつくられていった。目白、ほんとうに大好きだった。

19時の新宿発の速い電車に乗ろうと思って、前に住んでいた家の前を歩くことは辞めた。『青の輪郭』のこともある。また近く来るだろう。そのときは、昼から歩いて、どこかでちゃんと何かを食べたい。

今日はイオの夜シフト。前より、力を抜いてやれた。おむつを替えたら、替えたそばからうんちをして、さらにそれを替えたら、おしっこをぴゅーと飛ばしてきたので、シーツとかけぶとん的につかってるガーゼのかけるやつも替えなくちゃいけなくなり、そこで焦った。でもよく眠ってくれた。イオの頭が重くなった。手を伸ばしたり、ひらくようにもなった。毎日変わる。ミルクが冷めるのを待てずにぐずっているとき、自分でなんとかしようと、服のすそを手で握るようにして、口元に持っていき、吸っていた。いじらしくも、すごい変化!

11月7日(火)

夜シフトのじゅんちゃんに、げっぷのさせ方をほめられて、レクチャーする。ぜーんぶ出したあとはこうやってほっぺをくっつけて、「すきすきー!」ってやって、自分のオキシトシンを出してからベッドに戻すようにしてるよ、というと、爆笑していた。

昼、じゅんちゃんと外に出て何かを食べてみようということに。昨日より、じゅんちゃん歩くスピードが上がっている。出産のダメージは全治8週間のけがに相当するらしい。けど、日に日に回復もしている様子。前にごとうさんと行ったことのあるとんかつ屋さんに入る。とんかつは、そのときにごとうさんと行ったきり。じゅんちゃんは久々の外食で、目をきらきらにして、何度も何度もおいしいね、といってかみしめるようにして食べていた。帰り道に、あー今いちばん幸せだあ、といっている。日差しがあたたかい。寝不足で頭痛は抜けないけれど、でもじんわりと幸せだと思う。都心に住んで、がしがしい働いて、ふたりでちょっといいお店に行ってお祝いする。それも確かに幸せだった。でも今は、徒歩10分のとんかつ屋さんに、ゆっくりゆっくり歩いて行って食べて帰るだけのことが、とても幸せだ。どちらが優れているとか、良いとかではなく、幸運なのは、今の自分たちの幸せっぽいことを、こうやって見つけて感じられていることそのものだと思う。なんだか、ずっとこういう日がいつかやってくることを、10代の時から夢見ていたような気さえしてくる。

市役所に行って出生届を出した。これで晴れてイオが一人の人間として登録された。新しいアカウントだ。「これでイオちゃんも国家の管理下に置かれてしまったね」というと、じゅんちゃんは「ここまで10日くらいアンノウンだったのかっこいいよね」と想像してない返しを飛ばしてきて、ふたりで笑う。

そのままフロアを移動して、補助金などの申請をし、最後に保育園コンシェルジュに相談しにいく。これまで認可保育園のことは調べてきたけれど、認証の知識が手薄だったので、色々と聞く。眠れていなくて、スポンジみたいにすかすかな頭に、けれどしっかりと知識が入っていく。保育園コンシェルジュはふたりともおばあちゃんで、パワフル。ひっきりなしにしゃべってくる。この人たちはこれまでどんな人生を歩んできたのだろう、と途中からインタビューしたくなっていた。

夜、ありもので適当にしようということになり、鳥むね肉があったので、それをうすぎりにして、キャベツとピーマンを入れた味噌炒めをつくったらこれは鳥の回鍋肉だね、というものになった。母がうすく切った鳥むねに片栗粉と下味をつけてくれていた。こうしたら、ずいぶんとやわらかくおいしく食べられることが知られた。

11月8日(水)

イオがうまく眠れなかった日。思い出せない。ピヨログによれば、夜にじゅんちゃんとアイスを買いにセブンイレブンまで行ったみたい。じゅんちゃんはそれが旅行のように楽しかったらしい。

11月9日(木)

目覚ましをためしにかけずに寝たら、9時まで寝てた。寝坊。朝ごはん食べて、このタイミングで必要なイオのお世話をして、外へ。家ではなかなか仕事ができない。特に今日は、この3週間ほど悩まされ続けてきた、ある仕事で不義理をし続けてきた相手に最後通牒の連絡をしなければならない。家はいま、圧倒的にやわらかい空気に包まれていて戦うような気持ちがまったくわかないから、外で集中してやるほかない。

先に本屋さん。岸政彦『にがにが日記』と、長谷川あかりのレシピ集2冊買う。スタバで作業。ため込んでいた連絡、された不義理の尻拭い的連絡、明日の授業準備その他進めていたら13時をまわっていて、お昼を食べて、不足していた食材などをたっぷり買い込んで帰宅すると、14時すぎて、イオのミルクをやったりしていたら15時半。ぐったりして少し休むと、もう16時をとうに過ぎていて、こうしているから1日があっという間に過ぎる。

夜、レシピの中から、鳥むねとキャベツの梅スープ煮というのを、母と一緒につくってみる。もう1つはウー・ウェンさんの教えに従ってつくる、シンプルな小松菜の炒め物。油は太白ごま油で、味つけは塩のみ。ウー・ウェンさんの本を読まなかったら、濃い色のごま油にたくさんにんにくを使ってつくっていたことだろう。どちらも滋味深くとてもおいしい。梅スープ煮は、にんにくとマヨネーズとレモン汁を、オリーブオイルで合わせた特性マヨソースをあわせてみる(レシピにそう書いてあった)。すると、梅と塩だけの素朴な味わいに仕上がった鳥が、途端にごはんが食べれるおかずに変化した。こういうの、とっても楽しい。長谷川あかりさんのレシピは、どれもシンプルで素朴に見えて、ほんの少しの「外し」が効いてて、それがいまふうに感じる。ニュースレター「武田俊の読むラジオ」でエッセイにして出した、「ちょっとの特別」ってこういうことだ。梅のスープでマヨのソース、とか、クリームソースにわさび、とか。

夜、じゅんちゃん悪寒。産後悪寒戦慄ってのがあるらしく、自律神経がおかしくなって、急に寒気を感じたりするらしい。と思ったら、普通に38度以上にまで上がり、乳腺炎かインフルかの疑いが持たれた。病院に電話すると、明日の朝に来てくださいとのこと。普段熱なんてめったに出さない人が、こうなると心配。

11月10日(金)

朝、うつうつ。この数日、イオのお世話の大部分を女性ふたりに頼ってしまって、ふがいないという気持ちが、さらにうつうつを増大させてしまうからひらきなおりたいんだけど、そのひらきなおりが嫌な男性性につながりそうで、それもいやになってしまうから難儀。岸政彦『にがにが日記』を読んだり、Switchで『スターオーシャンセカンドストーリーR』をプレイしたりしてやりすごす。

このリメイク版がとてもいい。背景の3Dグラフィックと、キャラの2Dの取り合わせが大変に好み。プレイしててそうか、バトルシステムがテイルズとほぼ一緒なのか、と思い出す。「スターオーシャン」シリーズはプレイしてこなくて、それでも懐かしいのは、小学校のときに多田ちゃんの家で彼がプレイしているのを見ていたらからだなと思い出したら、ちょうどTwitterで多田ちゃんがスクショをアップしていて、それにたかくらが「!?」と反応していた。新旧のぼくの親友が、こうやってそれぞれの制作でもゲームでも対話が生まれているのが、人生っておもろいな、と思えて少し元気が出る。

じゅんちゃんを病院に送る。コロナでもインフルでもなく、どうやら乳腺炎とのこと。対策は水分をとってよく休む。それだけ? とちょっと思ってしまう。どんなふうにしんどくて、どう痛いのか想像できなくて、インタビューのように聞く。どうしても分け合えない性差から生まれるずれとか距離とかを、彼女が妊娠してからずっと感じている。埋められないという前提のもと、少しでも近づきたいという願望。病院の帰りに八百屋に入ったら、まるまるの大根が78円、なすが一袋98円、大量に包まれたオクラが200円で売っていて、昨日それなりに買い込んだけど、思わず買った。野菜って、まだ生きている感じがするから、たくさんあると豊か。

勢いで、懸案だった仕事のご依頼文をしたためて、送る。おひとかたは連絡先を存知なかったので、版元の代表電話に電話して、担当の方を取り次いでもらう。電話が苦手だから、腰が上がらなかったのだ。「お世話になっております、私、フリーランスで編集業を営んでおります武田と申します」という定型が口から出てくるが「お世話にはなってないんだけどなあ」とそのそばから思ってしまう。どんなシチュエーションでもぼくは定型文みたいなものが口からこぼれていくけれど、そこに個別具体的な実感とか、大切にしている気持ちがこもらないから──こもらないからこそ、定型で、それがコードとして社会的に必要とされているわけだけど──そういう言葉をたくさん使っていると、どこか調子がおかしくなる。全部実感のこもった言葉だけ使って生きていきたいけど、社会はそんなふうにはできてない。

それから大学。今日はグループワークの発表で、それが楽しみでもありつつ心配で、作業中の彼ら彼女らをちらちら見てしまう。なかなかおもしろいアイディアが出てきて、総評のあとに個別に講評を展開しつつ、最後には最近ぼくがしたプレゼンを、実資料を見せながらその場で実演してみた。みんな自分たちがやった後だから、うまくいったりいかなかったりの実感が余韻として残ってて、だから目をきらきらとさせて聞いている。こういう表情を浮かべる人に、何かを残す、残せるように話す。そういうやりとりが、この仕事の醍醐味で、それだけでやっている価値がある。

外に出ると冷たい秋雨って感じで、そこから写真家の堀哲平さんがひらいた写真館であり、ギャラリーである場所を目指す。Googleマップをひらいたら、徒歩24分と出た。いいじゃない。このあたりをそのくらいの時間で歩いていくこと自体に、わくわくする。堀さん新しい場所は、「堀哲平写真館」と「GALLERY KEKKAI」というふたつの名前があった。検索したらそう出た。使い分けるんだろうなあ。マンションの1Fで、天高がすごくあって、真っ黒な背の高いアイアンみたいなサッシの引き戸がかっこいい。大家さんが何か職人さんのような人で、ここをガレージ件作業場にしてた、その時からこのサッシだったそう。なかなか見つけられなさそうな物件。

だいぶ久々に会っても堀さんは堀さんで、どういうところが好きな人なのかをじわじわ思い出していく。どのプリントもかっこいい。光の入り方がダイナミックなのに、どこか繊細でものがなしいような、サウダージな感じがあるのに、被写体自体にはポジティブなエネルギーが宿っている、そういう写真。ぼくは人をあまり撮らないけど、ってか、撮れないのだけど、人物を撮るとしたら、堀さんみたいに撮れたらいいなあと思うような写真。そういうものをたくさん見ていたら身体の中心あたりがぽかぽかしてきて、手足の指が動き出して、何事?と思ったら、ただただ写真が撮りたくなっていたみたいだった。

ぼくらっていつ最初に会ったんでしたっけ、と自分でいったそばから思い出して、それはこのあたりの何かZINEに関するイベントで、ぼくは21歳とかで最初につくった紙の『界遊001』の販路とかをどうしたらいいかと思って、見つけた場所だった。そのことを、「ぼく最近過去の話を書いてるから覚えてるんですけど」といって話したら、堀さんの方がもっと覚えていた! 自分より細かいことを覚えている人を久々に見た。江戸川橋か護国寺あたりの、何かオルタナティブスペース的な場所だった。堀さんも当時ZINEに興味があって、そのイベントに出かけたらしい。なんだかそのイベントは往年のZINEカルチャー的な流れのなにかで、ビートニクとかヒッピー的な雰囲気があって、学校の中で散々左翼的なものの嫌な部分を見てきたから、少し及び腰になりながら参加していた。オープンマイク方式だったか忘れたがポエトリーリーディングの時間があって、そこで紹介されていた詩人としてカオリン・タウミの名前を知った。たしかその日、彼のリーディングの様子を記録したビデオが上映されたはずだった。現代詩は読んでいたけど、リーディングはあまりわからなかったぼくにとって、カオリンのパフォーマンスはすごく刺激的で、名前を覚えて帰ろうと思ったんだった。

カオリン・タウミ。2000年に34歳で亡くなった詩人。
マディ・ストーン・アクセルやハウリンウドンなど、色んな別名を持っていた人。
その人は、ちょっとだけ宙に浮いていて、人間ぽくなくて、赤ちゃんのまま大人の形になってしまった、おかしな天使みたいに見えた。

堀さんとの話を書こうと思っていたのに、書いてたらカオリン・タウミが出てきた。彼の名前なんて、この15年思い出すこともなかったというのに!

せっかくだからカオリン・タウミで検索したら、トップにヒットしたのは北沢夏音さんの2018年のツイートだった。なんて懐かしい響きだろう。

写真を見ながらそうやって懐かしい時間の中に入っていたら、雨宮透貴がやってきて、うお、まじかよ、といってハイタッチをした。こうやって何も約束をしていないのに、引き合う人の縁が交差しまくって、その日のその時の瞬間的な「今日あの展示行っておこうかな」って流れにしたがって自分の身体を動かすと、なにかが起こる。起こる余地がある、っていうのが東京で、東京ってこういうことだったよな、と思う。20代、毎週そんな夜があって、それでぼくは友人や仕事仲間たちと出会って、語りまくっていたのだった。3人でこのこと自体に興奮しながら、1時間以上もずっと立ち話をしてしまう。

堀さんのZINE「TOKYO」は、どれもハードオフやジモティなどでゲットした古いコンデジで撮った作品集で、サブタイトルに使ったカメラの名前がスタンプみたいに押されている。それがとてもよくて、3冊買った。さらりとした気取っていない簡単な冊子なんだけど、中の写真の質量が高いから、そのバランスでとてもかっこよく見える。こういうものを自分の手で作るのはいいよなあ、と思うし、ぼくはそういうところから出てきたんだとも思う。ふたりから「武田くんのあの写真、『光の標本』ってシリーズすごくいいよ」っていわれて、ぼくは現金なので、明日から毎日撮ると思う。

ユキタカが車で送ってくれるというので、駐車場まで歩いてる途中に「堀さんってかっこいいよなあ」というと「ほんとだよなあ」とユキタカが続いた。もっと堀さんのかっこよさを言葉にしたいと思って「ストリートでタフなのに、優しくて、かつ読者家なのもあるから知的なムードもあって、そのバランスがかっこいいんだよなあ」というと「武田くん、それそれ、まじそれ!」とユキタカがいった。ビジュアル表現を生業にしているクリエイターと話したりしているとき、こういうことが起こる。彼は、「えもいわれぬ感情」とか「説明しがたいなにか」を写真や絵画に落とし込む。ぼくは出力が言葉だから、「えもいわれぬ感情」や「説明しがたいなにか」に対して、それでもどうにか言語化できないかと考えていて、それは自分が体験した感動とか、情緒の動きとかをステレオタイプな世間的な社会的な言葉で終わらせたくなくて、個別具体的なとってもユニークなものとして認識したいからで、そうやって簡単でも特別にならないかと言葉にしてみると、ビジュアルでやっている彼らにしっかり刺さることが比較的多くって、そういうとき、認知特性が全然違う人に言葉で響かせられたって思えてうれしい。大げさのように思うけど、こういうために生きている、とすら思える。

ユキタカの車で一緒に帰るのは、範宙遊泳の山本卓卓くんが念願の岸田賞を受賞したあとのパーティのあとと一緒で、パーティといってもあれはコロナまっただなかだったから、それでも集まれるようにとエアビーで借りたお部屋みたいなところでみんなで集まったんだった。あれはよかった。居酒屋とかでお祝い会やるよりも、知らない誰かの家で、オードブル買って宅飲みしてるような感じで。ってか、実際にそのままそうだわ。その感じがすごく愛おしい時間だった。ユキタカのアウディに揺られながら、同じドイツ車でも、ワーゲンの方が足回りが固いなあと思いながら、甲州街道をゆく。あの日はなんか軽のバンだったな。車が変わっても、変わらない感じでおしゃべりをする。

「武田くんも車買ったんだ?」
「そうよ、ワーゲン。おんなじドイツよ」
「いいね、かわいいね」
「車っていいよねえ」
「わかる、調子いいよね」
「お部屋がさ、そのまま移動するのがいいだよね」
「あと話しやすいよね。こう横並びになってさ」
「それで風景が流れて、ってね」

帰宅、残りのごはんを恵んでもらう。鮭の西京漬けはんぶん、おみそしる、玄米、オクラのごまあえ。今日はイオの夜の担当。興奮してしばらく眠れそうにないので、ちょうどいい。pomeraしながら、起きてくるのを待って、泣いたのでミルクをあげる。ここまで上手に飲んでげっぷもして、吐き戻したりしなかったのに、今晩はうまくできない。肩にのせてとんとんしたら、吐き戻してしまって、Tシャツを着替えた。ちょっと便秘気味で、ずっと苦しそうな顔で「うーんうーん」とうなってて、それを横から「がんばれ! うんちでてこい!」って声に出して応援した。苦しそうなのもかわいくて、でも苦しそうなのでかわいそう。かわいそうなのもかわいいので、感情の最前面にぜったいかわいいが出てきちゃう状態。2時半にすこし眠れて、4時にまた泣いて、うんちは出てなくて、心配になってきながらミルクの用意をしていたら、じゅんちゃんが起きてきたので、ここで交代。

11月11日(土)

インディペンデントキュレーターのろばと a.k.a.長谷川新がストーリーズで、出張先でも本を買ってしまうことをなげく写真つきポストをした直後のものに「職質を受けることでカバンの中の本や作品を警官に見せることができる」と書いていて、「最近みた日本語の中で1番かっこいい!」と興奮して、本人にその旨をDM。

(ここで途切れて、現在は17日。もうなにもおぼえてないぞ?)

11月12日(日)

じゅんちゃんが認証保育園のひとつの見学に行ってくれる。ぼくは何をしていたか思い出せない。料理や家事やあれこれ。夜、とりむね肉をまたそぎ切りにしたものに、下味して、片栗粉のパターンをやる。鳥ハムと同じくらいやわらかく、鳥ハムより楽しい。ソースを工夫したら無限である。先日のガーリックマヨネーズのつくりかたを少しずらして、わさびを入れたらとてもよいものになった。