武田俊

2024.1.29

空中日記 #111|旬はすばらしい

11月20日(月)

やっと日記が日常に追いついた。非日常的なことがあると、日記に書きたいことが増え、そこに力をかけるから、日常に置いていかれる、という不思議なことが起こる。そういう不思議な時間の中で11月は過ごしていて、今ここに日付を書いてみて、もう20日も建ったのかと驚いた。

日記はさ、もっと書き捨てでいい。
断片でさ、いいよ。時間かけなくていい
ここにさ、ナラティブなんてなくていーよ。
『青の輪郭』とエッセイで、それはやんな、ね?
うん。

起きた瞬間から頭痛。ウツっぽい。子どもができたら病状はどんなふうに変化するのか、ちょっと楽しみにしてたけど、ウツは普通にやってくる。ただ、身を切られるような、切実な気持ちで自分の消失を祈るような希死念慮は今のところ来ていない。

U-NEXTに「アド町」があることを知ってから、これをつけながら朝の定常タスクをやることにしてる。おむつを替えながら、祖師ヶ谷大蔵の名店を知る。排泄と食事、沐浴まで終えて、なんで沐浴ってあんなに大変そうに脅されたんだろうと思う。たしかに新生児は首が座ってないから注意は必要だけど、やってることは誰でもできる簡単なことだ。
ってゆーか、新生児の子育てって、注意は必要だけど、ひとつひとつぜんぶ簡単。育児書とかちょっと脅しすぎ。別に誰でもできることだ。

図Yカニナ『沖縄に六日間』を読んでいたら、武田百合子『富士日記』を読みたくなって探すも見つからなくてパニクる。何回ぼくはこの本を買って、人にあげたり、なくしたりしてきたんだろう。カニナさんのテキストはInstagramなどで見ていて、前からこれは武田百合子だわ……と戦慄してきた。観察眼の鋭さと、チャーミングな情緒の取り合わせ。このふたつの絶妙な距離感を、天衣無縫の文体、と評したのは、さて誰だったかしら。

天衣無縫って、すごい言葉だよな。
天女の羽衣には、縫い目がないのな。

とにかく武田百合子って思ってたから、それを阿久津さんに伝えたとき、完全に共感していて、と思ったら、阿久津さんが帯文を書いていて、それはぼくが彼女のテキストに感じることとほとんど一緒だったから、だよねだよね、とにやにやしながら読む。

11月26日(日)

この1ヶ月、毎日「今日こそは寝る前に、雑でいいから日記を書こう」と思うも力尽きるということをくり返してる。動かないのに疲労を埋めるみたいに食べてるのもやだし、運動する体力もない。ふたりだからいけるけど、これ1人だと確実に詰んでる。イオが生まれる前「なんなら1歳まで保育園行かなくても、ぼくが面倒みたくなっちゃったりして!」といっていたのが、信じらんない。

午後、久々にじゅんちゃんが外に出た。餃子、麻婆豆腐、ビーフン、ミスドを買ってきてくれる。お願いしていたコダックのドーナツが、特徴がなくてかなしい。長谷川あかりさんのきゅうりの冷菜をつくり、残ってたお味噌汁をチゲに変成させる。全部つくらなくても、お手製の何かがテーブルに乗っていれば、十分になにかが回復するということ。

授業のゲストに出てもらう東かほりさんと、MTG。はじまってすぐ「あ、イカがいます」といわれる。ぼくの背後にはダイオウイカのぬいぐるみがつるしてあって、そのことだ。そういうふうにいわれるとうれしいもので、これが食腕でこれでえさをつかまえます、このぬいぐるみのすごいところは、口もついてるんですよ、あ、ほんとだこれ食べたりもしますよね、そうそうイカトンビってやつですね、じつはわたし、イカがいちばん食べものですきで──とふたりで、かなりの時間イカの素晴らしさについて語り合う。

夜、『UFC5』をちょっとだけやる。本当にこのゲームは格闘技そのものだと思う。やっと本作の打撃における距離感がつかめてきた。寝る前、中村祐子『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』をひらく。医学書院のケアをひらくシリーズの新しいの。ぼく自身はヤングケアラーではないものの、「なぜ自分の輪郭線がぼやけているのか?」「なぜ消滅の保存のあいだで揺れているのか?」「なぜ、ほどけて、つながり、流される自分に恍惚とするのか?」という帯文にビビットに反応する。これはぼく自身の世界認知の感覚にすごく近い。冒頭を読み進めるもの、これ読む前に買って積んだままの『マザリング 現代の母なる場所』を読むべきでは? むしろ今こそそのタイミングで、そのために2年前の発売時にあらかじめ自分は買っていたのでは、と思い立ち急いで探すも見つけられない。本っていつもそう。イライラして新しくまた1冊買おうとする気持ちを鎮め、倒れ込むように寝る。

11月27日(月)

『マザリング』は、数日前にまったく同じ感慨でもって「今こそ読むべき!」となり、和室に持ってきていたようだった。イオが来てから寝る場所がシフトによって変わるので、寝る前に寝室に移動させたつもりでも、寝室は日替わりなので、見失う。移動する寝室。さまえよえる湖。

I-DEFY収録のために恵比寿へ。今日のゲストはJinmenusagiさん。握手をして収録をする。内省しながら、ナイーブな側面についてもしっかりと言葉にしてくれる。話しながら言葉を探そうとして、それが新しい言葉を連れてくる。そういう風に話す人で、それが心地よかった。

表参道に移動して美容室。もう10年近く切ってもらってる石川さんに「あれ、武田さん髪の毛細くなってますね」といわれる。自分でも急にボリュームが減った気がしてたけど、やっぱりだ。この1ヶ月で急な変化で、何か心当たりありますか、といわれてありすぎる。不規則、寝不足、たんぱく質不足、運動不足。とくにトレーニングしてないと、すべてがどうでもよくなって食事も適当になるし、プロテインやサプリメントもとらなくなってた。朝、EAA飲んで、プロテインもとろう。おすすめのいいシャンプーと頭皮の化粧水をディスカウントしてもらい買う。ぼくの長さだとシャンプーだけでいい、トリートメントいらないと聞いて衝撃。今までなにしてたんだ……。

帰路、乗り換えがうまく行かなくて、なぜかたどり着いた登戸で、せっかくなのでラーメンを食べてみる。鴨と蟹のスープのラーメン屋さんがあって、そこはレビューの星も多かったけど、もうこだわりのラーメンとか今はいらないのだった。ああいうのは、体力があって、その味を目がけて出かけるような時にだけおいしいもので、そういうのはしばらくいい。で、向かいのお店に入る。ごわごわした麺が楽しい。

移動時ずっと『マザリング』。久々に集中できる読書の時間。細切れでもこうやって本が読めるのか、という発見がなんだかとても救いだ。今日は夜シフト。イオは昼寝なくなり、そのぶん夜は基本的には1ターン眺めに寝てくれる(といっても2時間半くらいだが)。これはとても助かるのだけど、その分昼寝ていないわけで、じゅんちゃんがつらいぶんぼくが楽なわけで、なんともいえない気分になる。

11月28日(火)

煙草1本で、なんかものすごい量の活性酸素を摂取することになって、その活性酸素がなんかと結びつくことで、なんかが増えて、それがテストステロンか男性ホルモンのなにかとどうかなることで、めっちゃ髪の毛によくない、っていうのを昨日石川さんに聞いたこと思い出して、煙草やめよう、子どもも生まれたしと思った。

禁煙したいって思ったことが今までなくて、煙草のなにがいいかっていったら、それは時間が切断されること。燃焼と吸引は日常の時間を切断してくれて、その間に数分の空白が生まれる。その空白の数分は、自分の命を弄びながら少しだけ死に近づくような時間で、だから生きていることが少しだけ相対化されて、そんな状態で同じく煙草を吸っている人と話したり、風景を見たりするのがぼくは好きだった。それはほんとうに特別な、死に近づくからこそ、これからも生きていけると思えるような時間だった。

6時にイオの担当を交代して、寝ても11時前には目が覚める。もったいない。じゅんちゃんが炊飯器をセットしてくれていたので、冷蔵庫の中を見回して、豚キムチ丼をつくる。残っていたチゲと食べる。豚キムチ丼なら、スープは澄んだものにしたかった。

今日もI-DEFY収録で恵比寿へ。今日のゲストは永井玲衣さん。「インディペンデントとは?」をテーマにしているこの新番組。それならば、このテーマ自体で哲学対話をやってみよう、というアイディアです。基本アーティストがゲストの中で、このアイディアは我ながらいいと思う。こういう差し込み方が、たぶん自分の編集の芸風なんだと思う。

インディペンデントって、どこか反メジャーみたいなイメージが浮かびやすくて、その二項対立でアーティスト自身が考えちゃっているとしたら、もったいないと思うんですよね。それで、「インディペンデントとは?」で哲学対話をすることで、揺さぶりをかけたいんですよね。って、永井さんに話す。永井さんは聡明でエネルギーいっぱいで、そしてたくさん表情を変えながら話をしてくれる人。その運動ぜんたいが素敵で、自分もああいい風に人としゃべれているといいなあと思わせてくれる。今日もさすがキレキレで、こりゃ色んな人がしゃべる場に呼びたくなるよなあ、とあらためて思う。

カフェに入って日記書いたりあれこれしたいなーと思ってたけど、そしてそれは昨日も同じことを思ってたけど、とても体力が足りない。まっすぐ帰り、丸亀製麺できつねうどん。返却台の下がゴミ箱になってて、そこにたくさんうどん札が捨ててある。3つ集めると、トッピングがもらえたりするそれを、学生時代のぼくならここで集めちゃうだろうなと思いながら、出る。

スーパーへ。地元でとれたピンピンに張っていて、葉っぱもたくさんついた大根が1本130円で売っていた。旬はすばらしい。他にもあれこれ買い込んで、気づくと両手いっぱいの荷物。これらをぼくが料理して、それをじゅんちゃんが食べてお乳になってイオちゃんになる、と思うと、とてもとても豊かな気分。明日は朝に運転するので、じゅんちゃんが夜担当するよ、といってくれてそれに甘える。

11月29日(水)

待望のイオ、1ヶ月健診の日。6時にシフトチェンジして、じゅんちゃんは少し仮眠。おむつ、ミルクして、急いで沐浴。外に出るのにレディがお風呂に入れてないのは、なんだか本人も不満のような気がして、ぱぱっと手早くすませる。沐浴が苦じゃないのは、何よりこの子がお風呂好きで、どれだけ泣いてても、お湯につかるとふぇふぇといいながら泣きやんで、じっと気持ちよさそうにしている。気持ちよさそうな顔を見ればこちらも気持ちよくなって、あなたが幸せであることがぼくたちの幸せだ。

朝9時半に車で行く。何を着せるべきか一瞬迷う。外に出ると行ってもほぼ室内to室内の移動だから厚着する必要はないけど、それでも寒かったらどうしよう。結局いつも部屋でさせている、下着の上にドレスオールのかっこうにして、そこにフリース素材のムーミンの柄のおくるみをした。ドレスオールは黄色のやつにして、これは今のところイオの顔に一番似合う服。一番すてきな状態で、先生たちに見てもらいたい。けれど期待は禁物。ベビママ診断の時のことを思い出す。婦人科というのは男性を仮想敵としてしつらえることで、連帯を育むみたいな場所だ、と今一度自分にいい聞かせる。

イオはすでに日本国民としてのアカウントを手に入れているわけで、そしていまや新生児から乳児に進化もしたわけで、彼女の診察は小児科が担当する。鏡の方のお部屋で、といわれてふたりで向かうと、看護師さんが何人かいて、ドクターの診察前に体重と身長の測定をするようだった。服を脱がせておむついっちょうにして、手渡す。ここから診察終了までのすべての作業とやりとりを、ぼくが基本的に行った。ぼくが主体的に担い、育児におけるイニシアティブを今日はパパが受け持っている、という状況をつくりだし、そのムードをこの空間ぜんたいに転移させようとしているみたいだった。

自分の居場所は自分でつくらなければいけない。そうしなければ、居場所はない、というのがここまでの学びのひとつのようだった。イオは成長曲線もいい感じで、出産時に吸引分娩でひっぱられてみょんと伸びた頭も定着してるし、何も問題ないようだった。爪を切っても自分でひっかいて、顔にけがしちゃったんです、というと、切るのも大事だけど、むしろやすりで丸くすることが重要です、と教わる。帰ったらじゅんちゃんのネイル用のやつでやろう。