武田俊

2024.2.8

空中日記 #112|さよならのあとで

12月21日(木)

久しぶりにこんなに日記が途絶えてしまったけれど、不思議と罪悪感がないのは、とても書いていられないような現実があって、そしてそこに深くコミットしていたからなんだろう。

この間に、7年ぶりくらいにひどい風邪を引き、自分にとっても周囲にとっても重要なアーティスト、知人・友人の訃報が続いた。その間も時間はちゃんと流れてて、日に日にイオは大きくなり世界の色々なことを感じはじめ、なのにぼくは、現在ではない場所に自分の影を縫い付けられたように動けなくなっていた。一番問題なのは、その影が縫い付けられた場所が現在ではないことはわかりつつも、過去なのか、どこなのか、まったく検討がつかないということだった。

39℃近くまで上がった熱は数日で下がったものの、ひどい気管支炎というか、咳ぜんそくとなったものが2週間近く経った今でもまだ残っている。あと少しで肺炎になっていたはずで、こんなにフィジカルの体調を崩したのは久々のことだ。その病床の中で、イベントに向けて荻堂さんの新作『不夜島(ナイトランド)』を読み、Switchで『パラノマサイト FILE23 本所七不思議』をプレイし、podcast『夜ふかしの読みあかし』を聞いた。

それで今日、ありなちゃんにお別れをしに行った。彼女の死を聞いたのは先週のことで、それからたくさんの人たちがSNSに驚きと悲しみを投稿していった。それを見るのが、正直もう初日から苦しくなっていた。たくさんの人たちの、張り裂けるような感情の弾丸を、SNSを開くたびに何発も食らい、それで辛くなっている自分を見下ろしながら、それならありなちゃんのご両親は、あさとくんは、もっと辛いはずなのに、自分はなんて身勝手な悲しみに包まれているのだ、という自動思考が永久にぼくを追いかけ続けた。

『ミルクの中のイワナ』の企画を動かし、いよいよ撮影に入りはじめた昨年の夏、zoom MTGでまったく浮かない顔をしていたあさとくんの表情が、すぐに取り出せるような位置にある。「ちょっとありなの調子が悪くてな……」というから、ぼくにそういうということはメンタル的な問題で、だったら相談に乗れると思って尋ねると、彼はそのまましばらく黙ってしまった。そのときに、食道癌であること、ステージ3であることを知った。彼らにとって『ミルクの中のイワナ』の制作は、闘病生活そのものと平行して存在していたことになる。

ゆうたろうと電話をした。
「ぼくはこういう亡くなった人とのお別れ苦手なんだよ」と話すと、「俊、得意な人なんていないよ」といわれて、ふたりで笑った。久々に声を出して笑った気がした。

じゅんちゃんが実家から一時的に帰ってきて、支度をしてありなちゃんとあさとくんの家まで向かう。車検に出しているクロスポロのかわりにやってきた車はなぜかヤリスで、その乗り心地にイライラしながら到着する。去年『ミルクの中のイワナ』の撮影で、機材をピックしたり集合したり、何度もやってきたマンション。ドアを開けると、今まさにお別れを果たして来た作家のAさんがいて、ぼくには気づかず出て行った。

どうしたってぐったりとしてしか見えないあさとくんがそれでも微笑みを絶やさず部屋を案内してくれて、ありなちゃんはリビングに横たわっていた。ナウシカのような青い洋服を着ていた。お化粧もきれいで、生きているようにしか見えなかった。むしろ死んでる真似をしているみたいで、全然怖くなかった。そこでぼくは、老人以外のご遺体とこれまでの人生で対面したことがなかったんだ、と気がついた。

周りにはたくさんの思い出のもの、この長いお通夜の期間に人が持ってきたもの、作品が彼女を囲んでいて、ネイリストさんが、爪にナウシカのネイルを施しているところだった。きれいですね、といって手元をのぞくと、しかしその指は骨張っていて、そこだけ生気が感じられなかった。からだ全体からは、まだ生きているかのような、力を感じるのに。

「ありちゃん、じゅんちゃん、しゅんくんが来てくれたで」
あさとくんが、やさしい声でそう語りかけたところで、じゅんちゃんの目から涙がこぼれた。ぼくはそれを見ていた。清水くんもいた。大きな悲しみのレイヤーの上に、疲労が重なり、その上の最前面に穏やかな笑顔を組み合わせたような、複雑な表情をしていた。ぼくはそれを見ていた。ぼくはいつまでもそれらを見ていたいと思った。ぼくには見ることしかできない。

何を話したらいいかな、と考えながら、自動的に言葉が選ばれ、おもしろおかしく話すあさとくんの会話に乗っかり、あっちで坂本龍一、チバユウスケなどにオファーして、フェスでも企画してるんちゃう、なんて話をした。お母さんにもお話をした。お話をしている間、それまでずっと木霊していた「子どもを先に亡くしてしまうなんて、いったいどんな気分だろう」という疑問は抜けて、ただ、どうかここにいる人たちが穏やかであれますようにと思いながら、口は世間話を続けていた。

他の人たちがお帰りになって、あさとくんとじゅんちゃんでゆっくり話しながら、今日来てほんとうによかったと思った。ありなちゃんとお別れをしたいという気持ちはもちろん、ぼくはあさとくんの顔が見たかったのだと気づいた。夏葉社のヘンリー・スコット・ホランド『さよならのあとで』について、「これは尊敬する人が出版社を自分でつくってまで出したかった本で──」と説明をし、「すべてが終わってから、ありなちゃんと完全にお別れしてから読んでね」といって渡した。目の前には「ひとりぼっちになってから読んでね」という言葉が浮かんでいたが、それを手で払ってトルツメするようにして話した。

あさとくんはちょっとはにかみながら手渡した本を受け取りながら
「なんやそれ、こわいやん! しゅんくん、ありがとうな」
といって笑った。

帰りがけ、ドアまで来てくれたあさとくんに、触れたいと思った。
右手を伸ばすと、ぼくたちはどちらからともなく、手を握るのではなく身体を近づけ合っていて、だからそれは自然にハグに変わった。ラッパーたちがするような、お互いをたたえ合うような形だが、それよりもずっと柔らかだった。ふざけたりすることなく柔らかにしたいって、それぞれがきっと思っていた。左手をぽんぽんと優しく2回打ったあと、さするように撫でたあさとくんの背中から、すっと力が抜けていくのがわかった。

12月22日(金)

ありなちゃんの告別式的イベントは、よしておいた。感情の総量の多い場は、今のぼくにはあまりに危険に思えた。いつも通りのことをしようと淡々と進めた。

午後一で、五十嵐さんに車検のことで相談。車検に出したら「この辺のパーツも変えても良いときですよ」と見積もりをもらうも、こういうのはディーラーだと高めになるといわれていることは知っていて、でも相場がわからないので見積もりを見ても判断できない。

トータルで30万円ほどの出費で、想像より高かったので、それで見てもらった。五十嵐さんいわく妥当、ということで、じゃあどう判断できるか・しうるか、を相談する。「武田くん、あと2年この車乗りたい?」といわれ、もちろん、と応えると、それなら全部変えてもいいんじゃない、とのこと。色々なパターンで検討して、まだ溝の残ってるタイヤだけはそのままで、その他はいわれた通りに全部替えてみようということになった。知識が圧倒的に非対称な時のビジネスの交渉の場ってほんとうに難しくて、こうやって相談に乗ってもらうとき、知識というのは人を救うなと思えるから結局好きだったりする。

大学で今年最後の授業。おしまいに、「今日、小説家の荻堂顕さんがゴールデン街のお店で1日店長をしているから、行ってみたい人はおごるから授業後来てね」と話すと、誰もこなかった。来たいはずなのに、声を上げられない、特に飲み的なもののとき、という傾向は教鞭を取り始めてからの5年でかなり進んだように思う。

しかたないので一人で行く。先にどこかで軽く食事しようと思って三丁目で降りてみると、ものすごい量の人で、これがコロナが5類となってから初の忘年会シーズンかと思う。とても一人で入れるような店が見当たらなく、日高屋に入る。ぼくが入ると満席になった。醤油ラーメンと餃子とハイボールを頼んで、『不夜島(ナイトランド)』を開いた。日高屋だけど、人種もさまざまで、ほとんどの人が飲み屋として利用していて、この小説にあっている場だなと思いながら、日高屋のなんだかケミカルでゴムのような麺を味わった。

8時くらいになって「月に吠える」に向かう。のれんみたいに下がっている分厚い半透明のビニールをかき分けると、カウンターから「たけださん!」と呼びかけられた。入ってみると写真家の金川さんで、久々に会えてうれしい。身体を動かして座標を変えればすぐにこういう再会が起こるのがぼくの人生で、数少ない自分を信頼できる要素だ。ハイボール3杯分、2時間、ゆっくりお話する。

いつもカウンターに横並びで話している荻堂さんがその中にいて、かわりにとなりに金川さんがいる。金川さんおしゃれ、なにかきっかけがあったの、ビジュがめちゃいい、スカートってどんな感じ? などきゃあきゃあしゃべる。金川さんが、ぼくの文章をほめてくれ、それが想像以上に効いて、やっぱり書きたいんだという気持ちの輪郭をはっきりさせてくれた。荻堂さんがつくってくれたハイボールは、キック感があるのにマイルドでおいしい気がした。偶然での出会い、その確率を高めて引き寄せるのが東京で、とても東京を感じる夜。

12月23日(土)

じゅんちゃんは再びイオのいる実家に戻っている。昨晩、そんなに飲んだわけでもなく、終電前に帰ってきたのにぐったり。都心で人と会ってたくさん情報を吸い込んで心が大きく動くときの、反動が強くなってる気がする。というか、その反動自体、もっと若い頃は気づけずにいたのか? 人間は集まると強い。エネルギーは乗算。

12月24日(日)

たぶん人生で初めて過ごす、ひとりぼっちのクリスマス。絶対にむなしくなると思ったので、ケーキ屋さんで2つケーキを買った。チョコのとキャラメルの。これを今日明日とひとつずつ食べることを楽しみにする。やっと気管支炎がよくなってきて、歌が歌えるようになると、途端に心身双方の調子がよくなってきた。何かが身体の中で溜まることが、やはりよくない。ニュースレターも書いて、パンクラスをつけながらイベント準備を進める。

12月25日(月)

コロナが5類になってから初めての忘年会シーズンということで、告知開始直後の予約数の伸び方で不安になった明日のイベントも、それなりの数が集まりそうでいい感じ。今日は最後にkeynoteの準備をしながら、結局サイバーパンクってそれぞれにとってどんなジャンルで、何が魅力で、なぜ最近ふたたびブームのように見えるのか、っていうぼくがこのイベントの後半でしてもらいたいパートをつくっているとき、ふと思いつき、stabledefusionを呼び出して、cyberpunk city in tokyoと打ってみる。

薄暗いネオンが輝く都市、80年代ぽいテールランプの車などのグラフィックが出てきた。どんどん色んなワードに変えて打ち込んでいくと、AIが機械学習で学んだ「サイバーパンク像」が見えてくるきがした。そうこうしてたら2時を過ぎていた。久々にいい思いつきだった。

12月26日(火)

荻堂さんイベントの日。後パブ的に出すメディアを時間がなくて見つけきらなかったので、ゆうたろうと間瀬に記録のために力を貸してくれ、といって来てもらった。ありがたいし、気心の知れた顔が客席に見えるのは心強い。1時間前に会場にいって、スライド投影やアテンドの準備をする。荻堂さんがB&Bの棚に目をきらきらさせて眺め、開始前に本を買っていて、自分のことのようにうれしい。イベントはとてもうまくいった。

顔合わせがゲスト同士も初めての場合、事前打ち合わせを綿密にしたくなるが、すると本編で話すべき内容にどんどん入ってしまうことが多い。なのでいつも最小限のやりとりのできる40分前集合くらいにする。今回皆さん自分から話してくださる方たちだったので、とてもやりやすい。反面、時間が足りなくなってしまうという部分も。シンプルで難しくしかし楽しいのがトークイベントのファシりだということを思い出す。

イベント前だったか、花ちゃん、遊ちゃん、みやじくんがやってきて、あーたけだくんだ! と話しかけてくれる。久々のことでうれしい。下北沢、こういうことだった、と思う。

打ち上げは提案していた新台北へ。作品内に出てきそうなものを中心にオーダーする。イベント終了が21時半、サイン会などを経て店着が22時すぎ。なので、あっとうまにおしまいの時間。どちらともなく、今日は越えちゃいましょう、という感じになり、ぐらばーで年末のあいさつをしてから、もう1件バーへ。たくさんふたりで話しこむ。途中でトイレのために席を立つと、しんたろうくんとはなちゃんがカウンターにいて、声をかけてくれる。東京の、東京都心の夜、という気分。

12月27日(水)

名古屋のON READINGのフリーペーパーがほしくて、ここで買い物をするならこれかなというタイトルをいくつかオンラインストアで購入したのが届く。続いてほしい場所でものを買うことがオンライン上でもできるのはうれしいことだ。寺井奈緒美さん『生活フォーエバー』などいくつか。

イスラエルとガザのことをちゃんと知るためにいくつか本を読んでいるが、てっとりばやく掴めるのが大和書房から緊急出版された岡真理さん『ガザとは何か』。これまた緊急で行われた市民向け講義を、急いで出版したとのこと。その事実と、知れば知るほど現状のショッキングな状況に胸が詰まる。

多くの人がデモや募金の情報に対して声を上げている。そのこと自体はとてもアクチュアルで大切な態度だと思うのだが、こういった、本当に事実を知り得ているか定かではないまま状況に勢いで乗ってしまっているのではないかという懸念、が自分には強くある。これは法政大学の事実上最後の学生闘争をすぐそばで見ていたことも影響していると思う。

正しく知識を得、ジェノサイドにはNOをしっかりと唱えながら、その上でどうしようもなくイスラエルに出自や関係性を持ってしまっている人たちの寄る辺ない気持ちを想像できる状態でいたい。その想像力が現実的な効力も意味も持たないのだとしても、「今この動きにどうしても乗れない」という人の人生について、せめて想像できる自分でいたい。

12月28日(木)

じゅんちゃんとイオを迎えにゆく。自分たちの都合や思いもあって滞在させてもらっていたのだけど、ずいぶんとさみしくて待ちわびていた。そしてなんといってもここのあたりに来たらアジである。前回は港のそばの新しい食堂でアジフライ定食を食べたけれど、質こそ間違いないものの、盛りが観光客向けでちょっとさびしい。それで今日は地元の人たちが集まるという食堂を教えてもらった。

11時開店らしく11時半に到着すると15台ほどある駐車場はほぼ満車。名前を書いて、車の中で待っているというシステム。ラーメンでも並べない体質だけど、アジフライなら並べるようで、そのまま車の中で待つこと40分超で店内に入ることができた。メニューにカレーやラーメンもあるのがいい。ここでそれらを頼むことのできるのは、よほどの勇者だなあと思いながら、黄金定食というのを頼む。アジフライとアジのたたきの定食で、アジのサイズは小さかったがアジは文句なし。たたきもたくさん入ってる。とはいえ、今年はアジがあまり回ってきていないみたい。来年は本格的にアジングやってみたい。

3人暮らしが再スタート。深夜の当番をするのが楽しみ。

12月29日(金)

久々にイオと過ごしているだけでうれしく、深夜の育児当番はけっこう疲れてしまうのだけど、寝ている様子をずっと眺めていた。2週間弱で感情を表現するようになり、よく太り、夜前より寝るようになり、すっかり別の生き物に見える。

12月30日(日)

『不夜島(ナイトランド)』のステッカーをpomeraに貼った。あらゆる小説は、サイン本もいいけど初版にステッカーをつくってつけたら良い。必ず初速が上がるはず。そしてそれをpomeraやPCに貼り、執筆を支援してもらう。ここまでが文化として育ったら良い。

12月31日(月)

前々から、この日だけはすみません……。といってあって、1日中RIZINを観ていた。今年も大晦日に格闘技を無事観られたということにじんわりと幸福な気持ちになる。テレビのテレビ機能が故障したままなので、55インチの有機ELモニターとなってしまったうちの子は、紅白もゆく年来る年も映せない。

いつも通りに時間が流れる中、そばは茹でた。ちょっといいおそばを買ってきたので、そば湯を残しておこうと思うも、あたたかいそばを食べたかったので、どう湯切りすべきか悩む。悩みながら手がそのまま動いたので、あつあつのそれを人差し指に直接浴びさせ、盛大にやけどした。