武田俊

2024.5.23

空中日記 #123|そろそろ、お前の歌を聴かせてくれよ

3月27日(水)

下北沢のBONUS TRACKでfreeeのイベントに出演するために夕方ごろ向かう。下北沢駅、井の頭線の西口の出口はずいぶんときれいになっていて、ここから徒歩10秒の場所に住んでいた時には、めちゃ汚いトイレがあって、どれくらい汚いかといえば満腹だったり酔っ払ったりした状態でそこを覗き込んだら吐くだろうというくらいで、そういう昭和の残滓みたいなものが当時は下北沢に限らず町の片隅などに残っていたように思う。そう思いながらローソンに入ったらスパムのおにぎりが期限ギリギリのため半額とかになっていて、咄嗟に買って歩きながら食べてしまった。会場でカレーとか食べればいいのに、出番は18時40分、お昼を食べたのが早めで11時半、それでいったん何か入れとこうと自動的に考えたみたいだった。

歩いているとししだくんがいて、おー!げんき? と声をかけて握手をする。ひさしぶりの人と偶然出会うと、ぼくはいつも強めの握手か背中をとんとんとするハグをしてしまう。人見知りで実際は引っ込み思案な自分に、なぜか実装されているラテンな要素のひとつ。会場ぐるぐる回って、花ちゃんとしゃべったりしているうちに、この場所が出来上がった2020年、コロナまっただ中でさてどうやってイベントを恒常的につくっていく仕組みをつくれるだろうか、とみんなであくせくしていた頃がなつかしい。自分が演者になるとは思っていなかった。

履歴書展のやっているギャラリーにまず向かうと想像以上の人だかりで、ぼくの書いた履歴書が入り口すぐそばに展示されていて、この人の多さの中で自分の履歴書と対面するのは未知の感情だった。あとで誰かとその話をしたら、自分がアーティストでタワレコに買い物にいったら自作が試聴機にかけられてるって感じに近いんじゃない、という話になり、そのときはよくイメージできずに流していたけれど、今これを書いていると確かに似ていそうと思った。

トークは一瞬で終了。広場も含めて人が多く、眺めているとfreeeのユーザーコミュニティがすでにしっかりと醸成されていて、そのひとたちがぐっと集まっているようだった。遠いひとはこの日のために名古屋、広島から上京してきているらしい。B&Bに行ってなんか本を買おう、と歩いているとここはやっぱり恐ろしい場所で、ひとつの棚ごとに「ああ、これ欲しかったやつだ忘れてた」「あ、これも買いそびれてた」って本が数冊出てくる。それを全部買おうとしたらとても持って帰れない量になる。あんどうさんと奥村がやってきて、広場の片隅で振る舞われた熱燗でしゃべる。ぼくは出番を終えてからずっと居場所がなくて、屋外をさまよっていたので、体が冷え切っていた。しゃべりだしたら止まらなくなるということがわかっていたので、もう体がカチカチだからどこかお店に行きたい、といったら奥村が電話をしてくれて移動。

電話したのは松というお店で、ここは下北に住んでいた8年くらい前に見つけていて、でもそのときの自分にはちょっと敷居が高いかなと思っていた場所。先付がセリのおひたし、フエダイの酒盗焼き、生ホタルイカの沖漬けで、それが細長い感じのいい褐色のざらついたお皿に乗って届けられた時点でこの日の勝利は約束されたようなものだった。お刺身は、あいなめ、いさき、しめさば。塩味の角煮や、まん丸の揚げ出し豆腐、ほたての殻の乗っている味噌味のグラタンなど、どれもが工夫をほどよく凝らしてある品で、それが過剰すぎないことがとてもいい。

出色だったのは、ふきのとうと海老の水餃子で、どんなものか想像できないまま頼んだら、山菜の浮かぶゆるめの餡の中に餃子がくるまれていて、口に入れるとその餡の酸味がまず舌に届き、噛みしめると塩味とともに海老の香りとうまみが広がり、その層の上にフェードインするようにふきのとうのさわやかな苦みが重なりはじめ、最後はそれが香りとなって鼻から先に抜けていく。話に熱中していたのに、ふぇ、と声が出て、目が見ひらかれているのが自分でもわかり、そうなるともうどうしようもないから、ねえ、ちょっといいからこれ食べて、すごいよ、といった。

自分に友人アーティストのような軸やテーマがないこと、というかそもそも「自分」というものがないこと、何かに触れたらそれになってしまうこと、そういう状態でうまくものが書けない(であろう)ことをふたりに話す。さまざまな角度からそれをみんなでこねるようにして話す。

おくむらが「武田の妊娠のエッセイのやつがなんでいちばんぐっときて、多くの人にも読まれてると思う?」と聞いてくる。
「何も考えてないからじゃん? 考える間もなく日記みたいに、ただ書いてるからかな」と応えると
「それやん! それやればいいやん。すべて日記みたいに書くっていう」
といった。

あんどうさんは、サンバミュージシャンの友人の話を聞かせてくれた。その人はブラジルにはじめて行った時、道中現地の人たちと仲良くなるために何を演奏しようかと道中ずっと考えていた。あれにしようか、いやこっちの方が文脈的にもっと刺さるか。そんな風に考えた曲たちを出会ったひとの前で演奏してみる。拍手をもらいとても喜ばれて次々演奏していくと、現地の人にこういわれたそうだ。
「ありがとう! でもそろそろ、お前の歌を聴かせてくれよ」
そういうことだ、そういうことだなあと思いながら、じんわりお湯割りを飲んだ。

3月28日(木)

じゅんちゃんが、赤ちゃんを育てている大学の同級生たちと集う、という約束の日。つまり日中フリーで過ごせるというたいへん貴重な日。さてどうしようか、と昨日からずっと考えていたが、起きたら天気も悪く、何より久しぶりに昨日たくさんのひととしゃべったからだろう、体が重たくて1日家にこもることにする。植本一子さん、碇雪恵さん、柏木ゆかさんによる『われわれの雰囲気』を一気読み。柏木さんがとても大きなけがをされて入院され、そのあと生き方を変えているということはInstagramを通じて知っていて、そのことに何か共感を得ていたのだけど、詳細を読むともちろん自分の身に起こったこととは全然バリエーションが違って、けれどそこに3人がむきあっていく流れをこう評することにはいささかの抵抗があるけれど、とてもおもしろく読む。

夕方、ふたりが帰ってくる。駅に直結された大きなショッピングモールの中の子ども広場のようなところで遊んできたようす。けど、すごい数の人だったの。イオちゃんも、さすがに落ち着けなかったみたい。それでおもしろかったのがね、このあいだシッターさんに貰った手作りのペットボトルのマラカス、あれを持って行って振ってみたら、すごい勢いでまわりの子どもたちが高速ハイハイで寄ってきたの。ゾンビみたいでこわかったなー。そう楽しそうに報告されて、それはぜひ自分の目でみたいものだなあと思う。

3月29日(金)

朝起きたら春の嵐。22℃まで上がりながら、窓を雨が横から強く打つ。お昼までイオのお世話。頭囲が大きめで、それはきっとぼくに似てしまったからだと思いつつ、一度気になると底が見えなくなる性格なので色々と検索。水頭症というものの存在を思い出して、そんなこともあるのかもしれない、と怖くなっている横で、イオは両手で自分の足の裏をつかんで楽しそうに揺れながら笑っていた。あいまに大崎清夏さん『私運転日記』を読む。判型も、マージンも、そして何より文章がいい。自分のために、誠実に、そしてことばのどこをひらくか閉じるかが考えられていて、ていねいに仕事をされたことがわかる。ていねいに暮らしている、暮らそうとしている、暮らしたいと願っているひとのことば。そのことで、泣きそうになりながら読む。

おひる、無印のごろごろ野菜カレーをパスタにかけたもの。それをほんとうのインディアンパスタに近づけたくてレッドペッパーを振って、でも生卵を忘れたのでコンセプトが破綻した。イオのお世話をしながらながら見られるものを──と思った結果、この数日、初代アニメのドラゴンボールを見ている。悟空がめちゃくちゃかわいい。フォルム、声、動き、どれも子どものかわいらしさ全体を表現できていて、だから目が離せない。

そしてメカのデザイン、色彩がやっぱり抜群。亀仙人の住んでいるうそのハワイみたいな小島と、あのピンクの家の外装とインテリアを見ていると、なんて豊かですてきな80年代よ、と思ってくらくらする。2020年代、あらゆるものがこの当時より便利で高解像度になったけど、豊かなのは断然にあっちだ。今日で21話まで来た。天下一武道会がはじまった。最初にされたルール説明によれば「1試合1分」「失神、場外、参ったで試合終了」とのことで、これはブレイキングダウンと巌流島ルールのハイブリッドだ! と興奮する。悟空もかわいいがクリリンもかわいい。ウーロンは下品だけどかわいいし、プーアルは当然かわいい。モブキャラもかわいらしい。ブルマは毎回おしゃれ。

プロ野球開幕戦の日。毎年入っていたスカパーのプロ野球パックも、もっか育児主体の状態なのもあって月に4500円もかかるので解約していた。今年はもうオンタイムで野球は見ないかもなあ、と思っていたけど、ドラゴンズがオープン戦で首位となったあたりからそわそわし始めて、過去退会時にひどい思いをしたにも関わらず、DAZNに入会してしまう。魂を売り渡したような気持ち。月額2500円で。

それで周平が、あの去年まで斜め後ろに倒したバットでまるで迫力も覇気も欠いていた周平が、打った。それが自分の想像していたよりもずっとうれしいことであることに気づき、周平はどんな顔をしているかと見てみると、淡々としていた。反撃の狼煙とか、復活の一打とかそんなこともなく、ただ振り抜き走り、オーバーランし、またベースに戻った。その動作のように自分も文章を書きたい。その後中日はミスから総崩れして、いやな負け方をした。かなりいやな負け方。格闘技以上に自分ごとになってしまうのが野球で、そのことを半年ぶりに毎年この春に思い出す。これが春。

夜、たかくらとそれぞれのクリエイティブ相談会。一昨日あんどうさんおくむらに話したことの再演という感じで「たかくらにはデジタル、あるいはドット絵と仏教や東洋思想っていうテーマがあるじゃない? そういうものがぼくにはないんだよ」というと
「そう? こっちにはちゃんとあるように見える。見えてないだけなんじゃない? なんていうか、武田のテーマというか作家性はさ、風景だと思うよ。日常のきらきらって瞬間を、写真みたいに撮る。風景」
といった。その「風景」というワードに心がくん、と反応した。

かなり昔のことだけれども、そしてそれがいつくらいだったかあまり判然としないのだけど、自分のつくったりするものは、祝祭と日常/瞬間と永遠、この相反しているように思われがちなものたちの間を往還するものでありたい、と強く強く願ったことがあったことをふと思い出した。他にも『青の輪郭』にもっと現在のパートが入ってもいいこと、これまでのエッセイのいいやつをまとめて本にしたらいいと思ってること、構成とかあまり考えない方が作風にあってること、などなど自分でもなんとなく感じているのになぜかそれを実行できないことを、あらためて教えてもらうような時間。これ毎月とかたまにとかやろうよ、といって解散。

3月30日(土)

イオと同じ2023年生まれの赤ちゃんは、この国に60万人いるらしい。それを知ったじゅんちゃんが数日前に「イオちゃんかっこいいよね。この国に60万人しかいない、最新型のホモサピエンス!」といっていたのが、数日経ってもじわじわおもしろい。ぼくは昭和61年式の旧型サピエンス。調べてみたら、出生数は138万人。ふと、今どれだけが生き続けているのだろうかと考え、ふっとこころの中の暗いものが霧のようになって立ちこめた。

じゅんちゃんは前に東大の駒場キャンパスの壁に描いた絵を直しにいく、といって出かけた。仕事の種類としてかなりかっこいいと思う。ぼくも何か手がけたものを直してみたいと、修復欲がむくむくわきあがる。どういうものなら自分の職種として可能性があるだろう。手がけたWebメディアを直す、手がけた書籍の修正をする、出演したラジオ番組を録りなおす……。書き出してみると、いやな部類の仕事だ。複製芸術やメディアに関するものは、修復でなく修正で、つまり瑕疵があったものを慌てて直す、という感じに近い。エディションの存在が、修復を可能にするのか。我々の仕事は、時間が味わいを持った風化をさせてくれない。

夜までワンオペ。ワンオペは好き。自分のペースでイオと過ごすことができる。インスタのDMで写真家の堀さんと話す。ぼくの写真をとてもほめてくれていて、何なら展示をしてみたいというアイディアを聞かせてくれる。何事にも最近自信を持てていないので、自分でも驚くくらいうれしい。最近写真を撮れていなかったのに、どんどんやる気が出る。自分にとっての写真とはなにかと考えたら、できるだけ作意を廃し、考えることをなくして、記憶や時間から自由になっている状態で、からだとこころが反応した光と風景を定着させる行為であり装置なんだろう。思い出すことをせずつくることができるのが写真という芸術で、その意味でぼくの写真には時間が写らないのだろう。仮構の、永遠の現在。人物を撮影したいと思ったことがない、という不思議さにも、こう考えると納得がいく。人間が写っている写真には、人類という種が帯びている時間が写ってしまうから。

『海がきこえる』が渋谷のbunkamuraシネマでやっているという情報を受けた。bunkamuraが存在しなくなったのに、シネマはどこにあるのだろう。あえて調べずにそのまま予約してみる。

ドラゴンズはつまならい試合をして、延長引き分け。風向きが悪い。

3月31日(日)

1日フリータイムの日。その前日夜、明日は全力で自由を満喫しようと思い、ふとんの中で何をしようかと考えていたらまったく眠れず、3時くらいまでもんもんとしてしまっていた。それでも朝は来てイオは起きるので、6時半から通常稼働。からだのすべてが重くぜんぜん動けない。なんで寝れなかったのだ、という自己否定の中でもかなりレベルの低いものに襲われる。こういう時は子どものごはんを食べよう、ということで、マックをデリバリーする。ふだんけっして頼まないてりやきチキンフィレオ。少しの変化が気持ちを楽しくさせる。そのことを信じている。

明日はイオの入園式。保育園の入園式って、どんな感じなのだろう。何を着よう。幼稚園でもないし、小さな認証の保育園だからきっとフォーマルすぎない方がいい。ジャケットで、その中はシャツじゃなくてロンTにする、それでチノパン、これでオッケーと思ったが、タックの入ったチノパンすら今のぼくは持っていないことに気づいた。全然服を買ってないし、買っても釣りその他でも使えるアーバンアウトドアなものか、ゆったりとらくちんなストリート寄りのものばかりになっていることに気づく。ちゃんとした大人の服がほしい。

夜、昨日つくった煮干し出汁のおみそ汁、じゅんちゃんの買ってきたアジフライ。それで足りないと思って冷凍庫にひき肉を発見し、これをただ押し固めて焼いたそれをステーキと呼ぶ、みたいなレシピをWebで見かけたことがあったのでやってみたいと思う。調べたらYoutubeがヒットして、りゅうじさんのそれだった。Webの簡単なおとこめしみたいなもの、だいたいがりゅうじさん。解凍がうまく行かなかったせいで圧をかけきられず、少し崩れた。単純すぎてそれが逆におもしろい料理だった。