武田俊

2022.2.6

書log #2|『読む・打つ・書く 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』

著者:三中信宏
版元:東京大学出版
刊行:2021年6月15日
価格:2800円(税込)
URL:http://www.utp.or.jp/book/b577413.html

まず本書は構成が巧みなので、ぜひ上記URLから目次を眺めてみてほしい。リニアで読みやすい流れで構築されながらも、緻密に構成された伽藍といった印象だ。

著者・三中信宏は進化生物学、生物統計学を専門とする理系研究者。対する読者であるぼくは、中学時代に数学と物理から見放されてしまった典型的私学文系型の落伍者。それが噛み合うのかどうか、不安なまま読みはじめると、まずまえがきがわりに置かれている「本噺前口上 『読む』『打つ』『書く』が奏でる “居心地の良さ”」と題したテキストに引き込まれる。

名にし負う伏見の酒蔵が立ち並ぶ中書島は紫雲で繁栄した土地柄で、下京区の島原と並び、江戸時代から続く京都屈指の遊郭で栄えた街でもあった。

そこから始まる、幼少期の著者の書物の出会いの物語、という私小説風のあじわいの一連の流れに「理系研究者の日々」というサブタイトルに構えていた体からふわっと力が抜けた。その力の抜けた体に、著者の読書・書評・執筆の理論が滋味深く染み渡っていく。

著者の理論はサブタイトルにもある通り「読む・打つ・書く」を連携させた一連の流れにある。それぞれの「楽章」でその考え方と具体的な実践法が展開されているのだが、それがただのハウツーに収まらないのは大量に散りばめられ(つつ、都度その場でリファレンスが明記されている)書物からの引用と、それを咀嚼し自身の感覚に的確に落とし込んでいる著者の書き味からなんだろうと思う。

その感覚の言語化の際に扱われる独自のフレーズやメタファーが心地よく、本書の中では謙遜しているが「みなか先生は文学も本当は好きなんじゃないか」と勝手に思っている。そしてこの比喩たちはただ詩的な楽しさだけではなく、大切な機能も果たしている。それは、かれが引用する研究者による書物からの発見や、日々の研究と執筆から得た実感、それらを暗喩を通すことによって、身体的な感覚とともに読者に実感を持って届ける、というものだ。比喩は読み手を魅了する修辞学的テクニックである前に、個別的でユニークな知覚を「拓く」ための機能であるということを思い出させてもらったような気持ちだ。

特に刺激的だったのは「第2楽章 『打つ』――息を吸えば吐くように」
まず書評を書くことを「打つ」と表現するのが楽しい。そしてみなか先生が一貫していることがよくわかるのがこの章だ。それは、読むことも打つことも(そして書くことも)常に利己的である・あってよい、ということ。自分のために本を書く、そのためには自分のために読み、打つことが必要となる。そしてそのサイクルを形作っていくことは最終的には後世に対して学恩を果たすことになる。この魅力的なサイクルの中に自分を置きたい、と思えてくる。

本書のもうひとつの魅力は、惜しみなく展開される具体的な手法のあれこれだ。過去の自筆書評を引用しての分析、目次の立て方、執筆の進捗管理のしかた──などなど枚挙にいとまのないほどの実践法。そのひとつひとつにかれが他の書物から入手したエッセンスが前述の比喩とともに示されているので、手法についての興味はやがてその背景の文脈にまで飛躍してつながっていく。それらを読み解いていく時の、この心地よさはなんなのか。

思うにそれは、かれの執筆方法というものが、ぼく自身ではアクセスできない理系的学術世界の書物とそれに日々触れる生活の中から導き出されたものだからなのかもしれない。まったく違った世界に由来する方法が自分にとって魅力的だということは、自分にとって世界の外側だった知の体系が実は想像よりもずっとそばにあったということ、むしろ自分自身にも関係しうるということなのだ、と感じさせてくれる。それはこの世界に自分にとって関係のない知はない、という希望や安心感のようなものを与えてくれる。そして、そんな感慨は、執筆という行為が文理を超えた人類の持つ普遍的な技術であるから生まれるものなのかもしれない。

本書を読んでいく時間の中で、あるうれしい変化が起こった。長年そうであったのになぜか消失していた読んだ本への書き込みが戻ってきたのだ。学生時代から松岡正剛式書き込み読書をしてきたのが、仕事をしはじめてからさっぱり消えてしまっていたのだけど(資料をのぞく)、この本を読んでいるとどんどん書きたくなるのだった。「読む」ことはそのまま「書く」ことであって、ならば生活の中に「打つ」ことを導入してみよう。ということで、自分のための書評メモ「書log」がこうしてはじまったのだ。マルジナリアンへの復帰だけでなく、新しい書物と向き合うことのサイクルを届けてくれたという意味でも忘れられない大切な1冊となった。