武田俊

2022.1.10

編集者から「編集」を取りだしてみる──2022年に見たい風景

こちらのエントリで2021年を振り返っていたら、そこそこ文字数を費やしてしまったので、今年の抱負的なあれこれについて書いていこうと思う。

2021年、さよなら日記

2022年末に見ていたい世界、残したいもの3つ

今年が終わる時期、どんな世界を自分が見ていたいのか。その実現のために動いた結果、どんなものが手元に残っていてほしいのか。自分の能動的な働き方において、実現する範囲で考えてみよう。

①単著をリリースする

実は数年前からお話をもらい、初めての単著となる書籍の執筆を進めている。
ぼくが学生時代に仲間たちと一緒に雑誌をつくりはじめ、並行してさまざまな媒体に編集者・ライターとして関わり始めた2011年ごろの出来事からスタートする物語。それを軸としつつ、メディアの変遷と編集というもののあり方、町の移り変わり、そういったエピソードを散りばめていくエッセイのような企画として立ち上がったものだ。

執筆は自筆年譜の制作からスタートした。
個人史を自筆年譜のような形でテキスト化して、それを年表の形に起こした。それに平行するようにメディア史の年表を並べてみる。さらにその時々の時代に自分がどんな本や映画、音楽に影響を受けてきたのかを加えていった。それらを眺め執筆を進めていくと、記されたテキストはどういうわけか私小説的なものにどんどん近づいていった。なぜなのか。考えてみると、理由は3つありそうだ。

①そもそもぼくの能動的な読書体験は小学高学年の時にハマって読みはじめた初期・椎名誠の一連の私小説作品から始まっていること。

②出来事を描くにあたり、ぼくは対話を記すことを欲しているようだ。けれど、会話そのものは記憶しきれていない。どうしてもそこに「創作」の手つきが必要になること。

③年表で人生をはじめて見下ろしてみると、ある時代に自分がとったアクションたちは、それ以前のある体験の「伏線」を回収しようとしていたのでは、と感じたこと。

もっとも刺激的な発見が③だった。
これまで色んなメディアを立ち上げたり、会社をつくったり、あるいは生活の中で生じたさまざまな出来事たちは、それ以前のある体験をひっくり返そうと企図されたもののようだった。

もちろん毎度のぼくにはそんなメタな意識はないわけで、しかし書くうちに、最初はあいまいなつながりにしか見えなかったその「伏線」は徐々に色濃くなってくる。そして過去たちは、どうやらそれを回収されたがっているようだった。ある秘密を暴かれたがっているように見えた。だから丁寧に付き合いたいと思っている。これは当事者研究のひとつの手段にもなるような気がする。
自分の自分による自分のための探偵業だ。

②編集者の仕事と編集の技術を切り離して眺めてみる

法政大学文学部日本文学科の専門科目「情報メディア演習」を担当して今年で4年目になる。そこではメディアと編集についてそれぞれ「個人と世界との間に生まれる対話の場所」「メディアの特性に対してコンテンツを最適化させる技術のこと」と定義した上で、ぼくらが研究者ではなく実践者として学んできたことを体系化して、グループワークなど実際手を動かす作業を交えて教えてきた。

で、年末にこれまでの仕事を振り返っていると、音楽メディア「lute」を立ち上げそして離れた2018年以降のぼくの仕事は、この「編集」という技術を活用しつつも、編集者のそれからは年々離れていっていると感じたのだ。

雑誌やWebメディアの特集企画を考えるように、経営者やクライアントに提案をし、編集部をつくるようにチームビルディングを行う。インタビュイーについて考えるように、ラジオ番組やpodcastのゲストについて考える。そうやってメディアとコンテンツの肌触りを調整していく。

こうした変化は恐らく、ラジオ番組や大学での講義、コーチングといった「最終成果物がナラティブそのもの」といった仕事を引き受けはじめてから発生しているようだ。この変化の秘密について知りたい。それは臨床やカウンセリングといった医療行為に、当事者として感じてきた恩恵のありかを探ることにもつながりそうだ。

編集者から編集実務を取り去ったときに残る抽象度の高い(それは純度の高い、と言っていいものかもしれない)「編集」というものの表情をもう少し近くで味わうために、15年ほど編集者と名乗ってきたぼくの中から「編集」を取りだして眺めたい。そのためには、編集者の行う編集実務そのものから少し距離をとる必要もあるだろう。

③世界のスコープであり定規である趣味たちのこと

学生時代に編集者の先輩たちに招かれた飲み会で「ただトレンド消費的にいいものを着て、食べて、知って。そういう趣味人や大人にぼくはなりたくないんです!」と息巻いたら、「いいぞ!」と拍手をしてもらった経験がある。

いま自分の学生が飲み会でそんなこと言ったら、ぼくも「いいぞ!」と拍手すると思うのだけど、自分で発した言葉は自分に呪いをかけることも知っている。この言葉のせいで、大人になってからのぼくは、趣味というものを浅ましいもののように思ってきてしまった。

けど、この数年草野球チーム・新代田キャッチボールクラブへの加入から、写真、釣り、柔術とこれまで好きだったり、興味を持っていたけどトライできてなかったことを縁あってはじめてみると、遠ざけていた趣味たちは快くぼくを招き入れ、そしてそのジャンルの中で紡がれてきた文化や歴史を通して、この世界の異なる美しさの存在を教えてくれた。

NHKのドキュメンタリー番組『ネコメンタリー 猫も、杓子も。』の保坂和志の回で、ディレクターが「保坂さんにとって猫とは?」という禁断の質問をするシーンがある(見ていてひやひやした)。それに対して保坂さんは「猫がいるから、四季があり、花の美しさがある」のようなことを答えていた。美しい花のその美しさは、そのままでは観測できない。保坂さんにとっては猫というスコープを通してはじめて花の美しさを感じ取れる、そんな風に受け取った。そして、そのスコープのことを人は趣味と呼ぶのだろう、と思った。

だとしたら、趣味こそもっとも人生を生きるに値することじゃん、と膝を打ったのだった。たくさんの趣味を誠実に味わって、そこから見える自分にとっては新しい(けれど、それはあらかじめそこにあった)世界の美しさに、毎回素朴に感動し続ける自分をキープしたい。

 

その実現のために:自分のために「読む・打つ・書く」

問題は、そんな風景をどうやってみられかという実践の方法だ。
そんな中、どうやらぼくは本が読めていない、と気づいたのは年末に読書録を整理していたことだった。
もちろん、仕事柄、そして何よりも好きなものだから色んな本に親しんでいる。2021年の読書録を眺めていても、ざっと150冊以上のタイトルが並んでいるので、まあ読んではいるのだが、それから何を得たのか、自分がどう変化していったのかということはふわふわとしている。

これを好意的に受け止めてみたいと思う。
あっちこっちに点在する興味、その度に手を出して増えた未読了の蔵書たちをまず肯定しながら、しかし足りていないものは何か、と思ったらそれは絶対的な書く時間と書いたものの量だ。

進化生物学・生物統計学を専門とする研究者・三中信宏の著書に『読む・打つ・書く 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』がある。読書と執筆をめぐるとても刺激的でゆかいな本なのだけど、かれは一貫して自分が読みたいものを読むために書くのだ、というスタイルを持っている。そのためにも必要なのが本を読んだらその「書評を打つ」ということらしい。

まずこの「打つ」というの表現にグッとくる。
そして読むことから、自分の作品を執筆することに向かうためのトリガーとして、その起点を打つという作業がある。これを実践したい。

柔術はジムに通うのが1週間以上も空いてしまえば、体に馴染んでいた技術がびっくりするほど抜け落ちてしまい、それを思い出し取り返すためにまた1週間ほどかかってしまう。書くことも同じだろう。

単著を出すためには、まず書く時間だ。その本のテクストはもちろん、読んだ本についての書評を打ち、日々の発見や世界の手触りをエッセイとして打つ。そうして本の執筆にいたるサーキュレーションをつくっていく。

今年の武田俊は、書くひとです。1日原稿用紙10枚がひとつの目標。
まず自分が読みたいものを自分に依頼して書いていくけれど、エッセイやコラムや原稿の依頼もお待ちしてます!

 

その実現のために:つくるための日課をつくる

なにか思ったようにうまくいかない。
そういうことがなぜ発生するか考えると、取り組む順序や効率的な進め方を考えているうち疲れてしまい「ベストな手を打てないならそもそももう始めたくない……だってすでにベストは尽くせないのだから……」という思考の循環に陥っているようだ。

選択肢が多くてそこから選べる、というのは一見豊かだけれど、その自由の海の中で溺れてしまってはもともこもない。それを防げるのが日課だ。決めたことに時間が来たら着手して、時間が来たらやめるということ。そしてそれを続けるということ。

制限あってこその創造性だ、というのはさまざまなジャンルのアーティストたちが色んな言葉で語っている。高校生の時、誰にも言えないような心の動きをどうにか形にしたくて、穂村弘の短歌に出会い創作をはじめた。その時の、31音という短いフォーマットに出会ってから広がった世界の奥行きのことを今もはっきり覚えている。

この日課についての発見は、また別にまとめようと思う。
つくり、つくり続けていくために必要なのは、その場その場で判断する認知能力を温存し、それを全部創作に充当させていくべきなんだろう、というのが今のところの考えだ。

 

その実現のために:自分という劇薬を観察していねいに扱う

これまでの仕事の幅から、なんでも器用にこなす人、と思われている節がある。ある面でそれは間違っていないし、他者や社会からそうイメージしてもらっていると、さらにそれに応えたいという思いが生まれて、さらにそんな仕事のしかたを自分自身でブーストしてしてきた。

なんでもこなすのは、どんなものにでも興味を持ちやすい資質があるからで、しかしその資質を全開にしていると世界に自分が溶け合いすぎて、芯の部分を見失ってしまう。芯を見失うことは恐ろしい。オーバーワークも体調不良も全部ここからスタートしている。のに、そんなことをこの10年繰り返してきてしまった。

カフカの幻惑的な名著『夢・アフォリズム・詩』には、「お前と世界との決闘に際しては、世界に介添えせよ」というフレーズが登場する。文芸評論家・加藤典洋の著書名『君と世界の戦いでは、世界に支援せよ』のモチーフとなったこの魅力的な言葉に10代後半に出会ってから、何か決断を下すさいには常に「世界の側に立とう」とする癖がついていた。

けれど、当たり前だけど自分の支援なくして、この世界は観測不可能だ。
というかそれ以前に、世界とはほんとうに決闘の相手だったのだろうか?

ぼく自身の芯は、どんな形をしているのだろう。
まだそれはよくわからないが、劇薬のような不安定な物質がその原料のひとつのようだ。
二トログリセリンはダイナマイトの原料でありながら、血管を拡張する作用を併せ持つことから、古くから狭心症治療薬としても使用されてきた。

ピーキーな自分の資質を恨むのではなく、それをじっくり観察してていねいに扱ってみよう。まずは自分が自身の優秀なケアラーとして振る舞い、その観察結果を日記に記録すること。
ピーキーなエンジンは多くの人には扱いづらいが、ある人にはとても魅力的に映り長く愛される。自分をそういう車のようにして長く愛していけるように。