武田俊

2023.7.19

空中日記 #92|花火とホームランはおなじこと

7月1日(土)

朝、いわなMTG。やってみたら話題が話題を呼び、怒濤の2時間半ぶっ続けであった。脳の回路がぐるぐるまわっているのがよくわかって、目の裏がぼうっと熱い。1日中緊張していたのは、夕方から新しい柔術のジムの体験を予約していたから。はやめに出かけたら思っていたのよりはやくついて、ついてみたら、外目は想像していたより古いビルで、それがこわくなってじゅんちゃんに電話する。いろいろ話しながら、目でずっと時計を見ていて、16時15分からのクラスに、早すぎず遅すぎず着替えの時間を入れると16時に到着するのがベストだろうから、そのタイミングで「じゃあ、行ってくるね!」といって切った。

クラスとスパー。土曜なので人も多く、20人くらいいた。基本的な動きの打ち込みからはじまって、ぼくはなぜか基本をちゃんとならってこなかったので、これがなかなかうまくいかない。ペアとなってくれた先輩が優しくってありがたいと思いながら、クラスではバックテイクからのリアネイキッドチョークと送り襟絞め。どっちも基本技なのと、サブミッションは理屈がわかればできるので、比較的スムーズ。そのあとスパー4本やって酸欠。なにもできなくなってるかな?と思いつつ、いくつかの技術は残っていた。デラスパイダーから三角絞めを極められて(極めさせてもらって)しあわせな気持ち。性格なのか、オフェンスの技術は残っていても、ディフェンスのそれはだいぶわかんなくなってて、復習たくさんしたい。爽快!終始ご機嫌で、駅でじゅんちゃんと待ち合わせてはじめての焼き鳥屋さんに行った。

となりの常連らしきおじいさん4人組。会計をしようとバイトのしっかりとしたギャルの子を呼ぶと、その子は伝票を片手でひらっとつまみあげると、ひとりのおじいさんに一瞥をくれて
「あのさ、お店の中なんだから帽子脱ぎな!」
といった。
一瞬ひやりとするも、おじいさんはうれしそうに「おお、おお」と言いながら帽子をとる。いいものを見た。この口調の中で「お店」と「お」をつけていることにも気づいて、とても気持ちがよくなった。

7月3日(月)

先週夢で見た、ふしぎな猫のことを思い出す。
体長はふつうの猫と同じくらいなのだけど、頭と胴の区別がなくって、直方体のようなかくかくとした形をしている。当然ながら、寸胴である。情けないかんじのげじげじの下がり眉で、足先はなぜかひづめ。かくかくしてるけど、触ってみるとふんわりとやわらかである。もふもふ、と表現はしたくなくて、そうしてしまうと、それは現実のねこやぬいぐるみ的なものに近づいてしまうからのような気がする。あの猫は、夢の中の時点で、生きてるけど現実のものではないって感じがした。この世界にはいないからこそのかわいさを、その子は持っていた……。また会いたくてたまらない。

7月5日(水)

子どもができたということを、どうやって自分の言葉で書けるかっていうのがこの3週間のいちばんの悩みで、昨日の夜、はじめて左手で胎動を感じたことをぼんやり思い出していたら、ふんわりと言葉の輪郭のようなものが見えて、そこからノンストップで2時間くらい。めずらしくほかのデバイス触ったりネットみたりもせず書き切った。それがこちらです。

公開したら、お祝いのメッセージと一緒に、いろんなひとから感想が届く。うれしい。家族LINEも盛り上がってる。うれしい。ぼくは自分の文章が、誰かの心をちょっとでも動かせたら、それが一番うれしいことなのだなと思い出す。

夜、どんどんと大きな音。花火大会がやっている。うちの部屋からは死角で見えなくて、見えない花火は音がこわい。光のあと音が追いかけてくるというのが打ち上げ花火の体験で、光で規模が理解できるから、その後の音量を想像して備えられる。それがなく、ただ音だけがやってくると、これは砲撃とほとんど変わらないんじゃないかしら。涼しい夜だから窓を開けたくて、でも音がこわい。ええい、こうなったら、むしろ見に行ってみる? たぶんあの近くの橋から少し高台だから見えると思うよ? ぼくはこういう時元来の陰キャぶりを発揮して出かけないのだけど、なぜかそうじゅんちゃんを誘って出かけてみた。

緑道にかかる橋は、黒山のひとだかりといった感じで、もう緑道としての機能は果たしてない。幅いっぱいの人で、でも、その中で花火を見るのは楽しかった。花火が上がると、みんなおお、とか、ああ、とか言って、目だけじゃなく顔ごとそれを追うから、最後は顔は上を向き、のどが引っ張られて少しだけ口が開く。その少し開いた口たちに降り注ぐように、花火は舞い落ちていく。口が開くと大人もあどけない表情になるもので、ぼくはこれが好き。で、同じように好きなものがあって、それがホームランだった。カキーンと音がすればみんなおお、とか、ああとか言って、顔ごとそれを追い、高々と舞う打球を見上げると口が開く。花火とホームランはほとんど同じだ。すべての人を、あどけない表情にさせる。

寝る準備をしていたら、あさとくんから電話。思いもかけぬ朗報で、シャキーンとする。寝る前だけどそのシャキーン感がなつかしくて、何度も何度も口の中で転がして味わうようにした。

7月6日(木)

たくさんのひと、なつかしいひと、普段本を読まないひとから「妊娠のエッセイよかったよ!」っていうメッセージをもらう。押し込んだ指に対して、世界の側から押し返してくれたようなありがたさ。ぼくの文章の良さと、ぼくの憧れる文章の良さはたぶん全然違う形のもので、ぼくは自分の文章の良さを好きになってあげたいと思う。ぼくの文章の良さは、これまでいろんな人に聞いてきて、だいたいわかるようになってきた。青臭かったり、むき出しだったり、やわらかかったり、ってい言われるそれの中の、ひとつ信じたいものは、本を読まないひとにも届く、っていうところだったりする。それっていいじゃん。そういうものを書きたい。いい加減ぼくよ、数を打て!

7月7日(金)

今日も保育園の下見。今日はまだできて5年の新しいところ。木の無垢材がたくさん使われてて、足の裏が気持ちがいい。施設のデザインも、見学会のプランもしっかりデザインされていて、アトラクションの椅子に座るように、安心してその流れに乗ることができる。メンバーはぼくら夫婦と、4ヶ月の赤ちゃんを連れたお母さん。おっとりとした優しいそうな人で、ちょっとムーミンのようで、草食動物的雰囲気を持っているひとだった。それが0歳時のクラスに足を踏み入れたときに小さい声で「やばい……かわいすぎる……」といい、2階に上がって4歳児のクラスにはいると「わぁ、急に大きくなっちゃった」と感動が漏れまくっていて、それが若干のギャルみを帯びていて、とてもよかった。子どもがじっさいのこの世界にいて、それが4ヶ月でってなると、他人の子どもを見る目も全然変わるんだろう、どんな感じだろうか、小さな子どもが先輩のように見えるのかな。まだ我が子をエコー写真でしか見れていないぼくらには、月齢による差は理解できてもけっきょく、ぜんぶが赤ちゃんで幼児、でしかないのかもしれない。スコープが全然とれてないんだろう。

午後、大学。企画書ワークショップの最終回。今年はどんなんが出てくるだろうか。楽しみである。

7月8日(土)

振り返り結婚記念日のディナーの日。

7月9日(日)

一日中UFCを見ていた。ピークだったのは、やっぱり平良くんの試合の判定を待つときの時間で、こんなにも自分の心臓の鼓動を強く感じたのは久しぶりのこと。同じ時代に、世界チャンピオンになり得る選手を追えることの喜びってすさまじいものだ。中学生のころ、K1がありPRIDEがあり、大晦日=格闘技という時代があり、そのあとあっとうてきな冬の時代になって、それでもTSUTAYAで昔のUFCのDVDとか、OUTSIDERのDVDとか、そういうものを借りてみていて、それがいま、世界的にMMAの時代になった。日本人メジャーリーガーがうまれはじめた時のようなことに、おそらく今はなっていて、その時代の裂け目に身を置いていること。この上ないよろこび。

夜、なぜか思い立って今までUIが苦手でたまに見に行く、くらいだったカクヨムのアカウントをつくる。明日までが期限の短歌のコンテストに、出してみようと思った。1首か20首連作が規定で、連作にしたいけど今からつくるのは無理なので、過去作をあさってリミックスにしちゃおうと思ってあれこれひっぱってみている。

7月10日(月)

起床そく、ランニング。8時の段階でもう30度ある。暑さのせいか久々に走るせいか、すぐに心拍数が140越えて、150近くになる。しかたないので途中からウォーキングにシフト。身体が熱をためこんで、全然だめ。部屋に戻って、短歌の整理。数年前、小さな冊子をつくったときに「ヴェイパーウェイブでつかまえて」という連作をつくっていて、これをベースに数首新作を足して、20首連作にしようと思うも、ぜんぜんできない。大きなショッピングモール以外なにもない町での暮らし、みたいなイメージのやつなんだけど、幻視力がめちゃ落ちているので、できるのは上中下の断片みたいなものばかりで、短歌の形にはまり切らない。短歌、こうやって机の前でうんうんしてるんじゃだめだった。少なくともぼくの場合、目に見えるものすべてを写真みたいにして、それをいつでも取り出せる心のカメラロールのようなところにしまって、眺めながら毎日を真摯に暮らさないと歌にならない。そういうことを思い出した。