武田俊

2024.5.9

イオちゃん、おはよう|はじめて子を持つぼく(たち)のための覚書 #5

これまでの連載はこちらから

#1|そもそもアンバランスな人生
#2|つわりのおわり
#3|ぼくだけにできること?
#4|弱いまんま生きてゆけ

 

この出だしを書いているのは2024年5月8日。
すでにぼくたちのあいだに生まれた子どもは、生後半年を迎えている。4月から保育園がはじまり、さっそく風邪をもらって、あるあるな洗礼を浴びたのももう先月のことだ。夜、まるっと眠るようになってくれたから、途切れてしまっていたこの連載をもう一度スタートできそうだ。

そう思っていま書きためていたエディタのファイルをひらいたら、想像していた以上に、たくさんの断片が記されていた。よし、これをまとめ、時系列をきれいに整えて推敲し再始動ぶんの回としよう。読み返してみると、慣れない新生児育児の初動タイミング、ぜんぜん睡眠がとれない中、今やらねばぜったい忘れてしまうからという気持ちで断片を記していた自分のことを思い出す。PCを立ち上げる気力はなく、育児のさまざまなすきまで、iPhoneでなんとかログを残していた深夜や早朝の時間を思い出す。

過ぎた時間は2度と戻らない。
この子を育て始めた半年のあいだ、立て続けに届いた友人、知人、あこがれの人の訃報によって、こころとからだを貫くようにして、感じ直していたことだった。

けれど、そこにテキストがあれば、ぼくたちは過ぎた時間の中に、何度でも戻ることができる。それがたとえ断片的なものであっても、記されて残されている限り、何度でもそのときのはじめての感情が生まれた場所に、遡行するように戻っていける。

これを書いているのは2023年11月6日。
すでにぼくたちにははじめての子どもが生まれている。2828グラムで生まれた赤ちゃんが病院から自宅にやってきてから、すでに4日が経っている。おむつ、ミルク、沐浴、寝かしつけ、その基本ルーティンの動作は身についた。その間に時間は溶けて4日経っていた。妻に1日遅れ、SNSなどで出産のおしらせをしたのが昨日。すぐにたくさんのハートとコメントが届く中で、重い荷物を下ろした時の安堵と疲労がないまぜになったような感覚が走り、これで日常が戻ってくると思った。

けれど、それはぼくの知っているこれまでの日常とは、どこか違う表情をしているようだった。そのことを書きたいと思う。でも書く前から知っている。その新しい日常ってやつは、書くそばから、また表情を変えてゆくのだろう。この子が育ってゆく度に。

だからぼく(たち)は永遠に、その新しい日常っていうものをつかめない。
それを書いてゆく。つかめないまま、書いてゆく。手の中をすり抜けるようにして、なんとか出来上がったそのテキストはすべて「かつて新しい日常だったもの」になっているはずで、けれど、それはきっと、とても愛おしいものになっている気がする。

どうやってこの子のことを書こうか。
大切なのは呼び方だ。
毎回「この子」とか「赤ちゃん」と書くのは味気ないけれど、名前を出していいものか、肝心の本人の確認はとれない。
これからこの子のことは、イオと呼ぶ。
本名の響きに近いから。言葉は活字以前に音だったから。
「イオ」で検索してみる。ゼウスの妻・ヘラに使えた女官で、ガリレオ・ガリレイが発見した木星の第一惑星の名前でもある(らしい)。

子育ては、いつでもスクランブル発進の指令がやってくる可能性がある、っていうことのようだ。仕事でも読書でもなんでも、持続的に取り組むことができない。よくいって、断続的で、それが日常ってことだった。

5日目の朝、夜シフトの妻と交代しようと思って6時半に起きると、サポートに来てくれている母が起きて、おむつを替えてくれていた。ピヨログを見るとイオは昨晩あまりまとまって寝てくれなかったようだ。イオがやってきてから、ぼくのiPhoneのスクリーンタイムをほぼ独占しているこのアプリは、身の回りのすべての子育て中の夫婦たちが愛用しているもので、授乳の時間、量、おむつ、睡眠、その他すべての育児に関するログを記入する。起きたらまずこれを見て、前夜起こったことを頭に入れ、今やるべきことを知る。

昨夜大変だったことが、記録からわかる。その大変さを想像しながら寝室をのぞく。妻はぐっすりと眠っている。

トーストを焼いてハムとチーズを乗せて食べた。
母がまとめて淹れてくれていたコーヒーを飲んだ。
イオのぐずる声が聞こえてくる。妻が起きないように急いでイオを抱きかかえ、リビングに移動させる。朝の世界に彼女がなじみはじめたころ、服を脱がし、沐浴させた。もう十分にひとりでできるはずだが、危なっかしいので母とやった。

交代するような気持ちで昨日疲労困憊で入れなかった風呂に、残り湯を追い炊きして浸かった。母が来てくれているからできることだった。お湯に触れた部分から順に身体の輪郭が溶け出して、バスタブに広がっていくようだった。5日ぶりに本を読みたいと思った。5日間、本を読まなかったことって、これまであっただろうか。

すべてはよくいって断続なので、構造的な文章を頭が受けつけない。ちょうど届いていたブコウスキーの『郵便局』をひらくと、すっと入ってきた。

かれのデビュー作は自伝的長編で、断章の連なりとして構成されている。飲んだくれながら郵便局で働き、そのあいまに書きまくっていたブコウスキー。郵便局の代用職員っていうのは、正規職員の病欠その他に備えて配置された者たちで、すなわち常にスクランブル発進を待っている存在だ。かれの労働の断続性と、育児のそれとが響き合っていく。

イオが生まれる前、妊娠中のエッセイとして、書きたいことは他にもたくさんあった。
思いつくたびにメモとっていた。それをひらいたら、こんなものたちが並んでいた。

・にんにくのラーメンきっかけで、別々に寝ることにしたこと
・お腹が張っておならが出そうなじゅんちゃん、ひとりにさせないよといってぼくもおならをする
・これまでの振り返り対談をやってみよう
・パパママ学級で「家事万能のだんなさん」というキャラづけされていた話
・でたらめの猫のうたを歌ったら、お腹の張りがおさまったこと

そこからどんな気づきがあったのか、すでに忘れてしまっている。猫のうたとか、もう何も覚えてない。これらが書かれることがなかったのは、イオが予定より10日ほど早く生まれてきてしまったからだ。

10月27日の22時ごろ、妻がおなかの痛みを訴えた。
まだ予定日前なのもあって、便秘なんじゃないといっていたら、それがきっかり10分刻みでやってくるという。
病院に電話をすると「眠れないほど痛くなったら、また電話してください」とのこと。様子を見ていたらいよいよ0時ごろ、これじゃあ眠れないよ、となって、病院に行くことにした。バッグふたつぶんの入院の荷物を肩から提げて裏口の扉を開けて外に出たとき、空気が冷えて心細さの割合が増した。

このあたりの具体的な流れがすでにあいまいだ。
駐車場はがらがらで、夜間通用口から病院に入る。
妻が「次にここを出る時は、ふたりじゃないんだね」といい、ぼくは咄嗟に「なんて縁起でもないことをいうの!」と返した。彼女は3人で、という意味で伝えているのに、心配ごとがこころの大部分を覆っているときにはいつも最悪の想像を続けてしまう性格だから、ぼくにはそう聞こえなかった。悲観的すぎるぼくをふたりで笑った。警備員さんに状態を告げ、2Fのナースステーションに上がる。ここから入院ということになって、時間も読めないのでぼくは帰ることにした。

ここでエッセイのための断片は1度途切れていた。
けれどずっとつけている日記があって、そこにはログが残っていた。

空中日記 #107|毎日うまれたての一日
10月28日(土)

朝イチで新番組収録のために乃木坂へ。昨日の深夜にチームには「なので、スムーズな進行で収録できたらうれしいです!よろしくお願いします!」と伝えておいた。収録後すぐ動けるよう車で行く。予定していた駐車場がどちらも全面工事中で(そんなことってある?)、車1台なんとか入れる路地の奥の駐車場を見つけて入れた。最大料金4800円とのこと。港区。すごい金額。

新しい番組には型がないからどうしようかな、どういう声やテンションで入るといいかなと悩んだけれど、まあなるようにしかならないし、と思ってゲストに向かって「初回なので、一緒に型をつくっていきましょう!」とすらいってしまう。自分がゲストならその方が気が楽だし、わくわくすると思った。会話が会話を呼ぶ、そういう時間が1時間強あった。ディレクターからのフィードバックをもらって、返答のバリエーションが画一的になっていて、相手の会話を復唱するように丸めたがるクセが戻っていたことに気がつく。前者はすぐなんとかできるけど、後者は意識しないといけない。言語化が得意ではない方が相手なら効果的だけど、今日みたいに言葉をすでに持っている人にそれをやると、ただの復唱のようになってしまう。

無事終えて、急いで病院行くぞ、間に合うといいなと思ってiPhoneを見るとじゅんちゃんからの通知があって、10時過ぎ急に赤ちゃんが降りてきて、10時42分に生まれた、母子ともに無事、という連絡があった。間に合わなかったかーと一瞬思うも、それによって後悔のような感情は立ち上がってこず、かといってうれしさ大爆発というわけでもなくて、ただただ無事でよかったという安心感のあとを少しだけ追いかけてくるようにささやかで、けれど確かなよろこびがじわじわと広がって、顔がにやにやしてゆくのが自分でもわかった。チームのみんなに祝福してもらって、でももう生まれちゃってるからすごく急ぐ必要もなく、じゅんちゃんもまだ分娩室で待機して、もろもろの処置が終わって、出血が収まってから病室に移動するということだったから、ちゃんと今日の収録のフィードバックと次回以降の流れとスケジュール確認のためのミーティングを持った。

外苑の方にまわって、首都高に乗る。赤ちゃんが生まれた。全員無事だ。iPhoneからROTH BART BARONのニューアルバムをかけていると、妊娠期間中のおっかなびっくりな日々のことが思い出された。赤ちゃんが生まれた。計画もせず、子どもを持つことをなかば諦め、諦めたことすら悲しまず、すてきなDINKsになろうねっていいあったぼくたちのところに、赤ちゃんがやってきた。体中が震えてきた。この気持ちをなんていったらいいかわからないな、と思いながらアクセルを踏んで、ふと誰に宛てるでもなく、口に出してみようと思った。

赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんが、生まれたよ。あのね、ぼくたちのところにね、赤ちゃんが来たんだよ。じゅんちゃんも、赤ちゃんも無事だったんだよ。いっつもぼくは最悪の最悪を想定しちゃうけど、でも全員無事だったんだよ。ふたりの赤ちゃんが、生まれたんだよ。今からあいにゆくよ。

途中から声が震え、風景がかすみ、けれどここは首都高だから危なくて、ロンTの袖で目をこする。こすってもこすっても、肩が震え、涙がぽろぽろとあふれ、それでもやめたくなくて、ぼくは何度も何度も誰かに向かって「赤ちゃんが生まれたんだよ」といった。

病院へ着いた。13時過ぎだった。面会者向けの小さな書類を書いてパスをもらう。ナースステーションに向かうとまだじゅんちゃんは分娩室で処置中ということで、少し待つことに。待合には不安そうな顔をした男性がふたりいて、無言の連帯を感じる。心の中で「ぼくは間に合わなかったけど、おふたりは立ち会いできそうでよかったですね。ファイティン!」と唱えた。

そうしていたら分娩室の方から、尋常じゃない叫び声が響き、フロアをいっぱいにした。手負いの、怒り狂った獣のようだ。「痛ーい!!!!!」「もう無理だってーー!!!!!!」「やめてーーーー!!!!!!!」「あきらめるー!!!!!!」という叫び声は、5分ほど続くとやんだ。そしてまたしばらくすると、再び叫び声が上がり、不安そうな顔をしていた男性のうちグレーのスウェット上下のひとりが、陣痛室と待合を疲労感の浮かぶ表情のまま、行ったり来たりしていた。

これが自然分娩の陣痛か。いったい、なんて声なんだ。こんな声を出すような痛みは、どれほどか。自分が最も痛みを感じただろう、上腕骨の螺旋骨折を思い出してみる。あれは死ぬほど痛かったし、担当医によれば体中の骨折の中でも1番くらい痛い場所を1番痛いしかたで折ったらしい。けれど、それは一瞬の痛みで、受傷後の痛みも相当だったが、1番痛い時間が継続し続けているわけではなかった。術後の夜は痛み止めの座薬を入れてもまったく眠れないほど痛かったが、ぼくは叫ぶことはなかった。真っ暗な病室で歯を食いしばって、Spotifyで入眠用の自然環境音で構成されたプレイリストをえんえんと流し続けていた。

どう過ごしていたらいいかわからない時間が40分くらい続いて、「病室移動までもう少しかかるけど、分娩室でとりあえずお話します?」といわれたので、もちろん、と思ってピンクのカーテンの奥の部屋にゆく。

昨日の夜と同じ体勢でじゅんちゃんはそこにいて、見たこともないようなボロボロの表情をしていた。短時間でぐっと赤ちゃんが降りてきたこともあり、出血の量が多いらしい。ありがとね、がんばったね、と手を握って声をかける。他に言葉が出てこない。赤ちゃんの写真見る? と聞かれて、でもここまで来たら対面するまで画像は見ないぞ、と思う。一通り話をして、他にすることがなくって、今はどうやら彼女の出血がしっかりと治まるまでの待機時間のようで、それがどれくらいになるかわからない。

そういえば昼食をとっていなかった。看護師さんに伝えて、外に出る。出たら、疲労困憊でふらふらしていることに気づく。昨日ほぼ寝れてないまま、運転して、収録して、運転して、それで今なのか。何かあたたかいものを食べよう。東秀があった。ここでいいや。しょうゆラーメンと餃子を頼む。父になってはじめての食事だ、と思うとそれがとてもおもしろい発見のような気がして、写真を撮った。なんの変哲もない、まっさらなしょうゆラーメンと餃子のことが愛おしい。これからしばらく「父としてはじめて」のシリーズが続くのか。

病院に戻って待合で待って、用意が整ったので病室に移動したじゅんちゃんに再び会う。ここは全室個室なのがいいところで、そういえばそれで決めたよなと思い出す。赤ちゃんがもうすぐ新生児室というところから来るらしい。待っていると、コンコンというノックの後、失礼しまーすと看護師さんがやってきて、赤ちゃんが入ってきた。

白く塗装されたスチールのキャスター付きのキャリアみたいなのの上に透明なかごみたいなのが乗っていて、そこの上に赤ちゃんがいた。眠っているようだった。これは断じて親ばかではなくて、客観的事実なのだけど、これまで画像や映像で見た新生児はしわくちゃで青紫のような色をしていたからそういうものだと思っていたのだけど、目の前にいるのは薄桃色で、しわなどなく、果汁一杯で張り詰めた果実のようにみずみずしい、とてもきれいな赤ちゃんだった。はわ~~~~~~~~~~! という高い声が自分の口から漏れる。

寝ているようなので、じっと近くから見ていると、看護師さんが「ママの隣に持って行きますね~」といった。寝てるからいいのに、と思いつつも勝手も文化も風習もわからないから黙っていた。看護師さんは赤ちゃんの下に敷かれていた布団のようなタオルを、ちまきがお米を包むようにその角を巻き込むようにして丸め、すっと持ち上げてベッドに移した。そうか、こうすると首も支えられるのか。案の定赤ちゃんは泣き始め、寝ていたのにかわいそう……と思うも、興味は湧くばかりだから、こんどは泣いている表情やその声をじっくり観察してゆくことになった。

観察だけじゃ全然足りなくて、なんども決めたばかりの名前を呼びかけて、からだをさすった。ほんとうに小さくて、頼りなくて、重力その他すべてに自重を預けきったそのちいさなからだは、けれど泣き声をあげるたびにしっかりと動く。顔は真っ赤になって、体温が上がり、おなかの上に手を当てると、これでもかというくらいに横隔膜が上下しているのがわかる。不安だね、不安だよね、だいじょうぶだよ、と何度も声をかけて、お腹の上に置いた手をゆっくりと上下させると泣き止んだ。お腹に置いたといっても、ぼくの手のひらをそこに置けば、指先は首近くまで到達する。それくらいちいさなからだ。赤ちゃんのてのひらの中に、人差し指を差し込むと、反射で握られる。その確かな反動が命ってことだと思った。

ママも休まなくっちゃね、と看護師さんにいわれ、赤ちゃんは新生児室に旅立っていった。それでもう他にすることもなくなって、途端にぐったりときた。今日はここで解散することになって、外に出る。今日はあんどうさんとネオさんとの会で、LINEでやりとりしながら、行くべきか帰って寝るべきか思案する。車なのでとりあえず家へ。約束の時間には下北沢には行けない。リスケ候補日を探り合うが、適当な日取りがなかったので、今日起こった出来事はすべてが特別な思い出になる、と思って決行することに。

いわしの飲み屋さんにゆく。いわし刺し、つみれ酢、かき揚げ、まぐろ刺し、いも焼酎水割り。途中からネオさんもきた。久々で、お祝いの言葉をもらったあとたくさん話す。「これが父としてのはじめてのいわし刺し」「これが父としてのはじめてのかき揚げ」「これが父としてはじめてのまぐろ」といいながら食べる。今日の目的は歌だったので、そのあと久々にカラオケへ。あんどうさんはいつものカラオケで、ぼくもそうで、ねおさんはたくさんアップデートされていて、Adoとかを歌えるようになっていた。最後の1曲であんどうさんがTHE BACK HORNの『初めての呼吸で』を歌ってくれた。

父としてはじめて終電を見送り、父としてはじめて夜中に出歩いた。すぐタクシーを拾うのがもったいなくて、たくさん苦しんだじゅんちゃんに少しでも追いつこうとしたのか、できるだけ歩いていこうと思った。しょうもないことだ。それでも歩きたかった。多摩は広大で、家に着くまでは歩けなくて、足がもつれたあたりでタクシーを探して帰った。23000歩くらい歩いたらしい。

出産の日、妻はごはんのタイミングがなかったようで、産んだあとずっとお腹がぺこぺこだったらしい。それで、予定されていたちゃんとした食事を楽しみにしていたのに、時間が時間だからちゃんとの用意ができなかったらしく、なんとか出してもらったナポリタンを食べた。とってもかわいそう。でもそういう時の、なんてことのないナポリタンって、ナポリタン史上もっともおいしそう。

入院中はできるだけ通った。
14時から面会可能でおやつを買って、夕方まで。
だいたいイオは寝ていた。それをずっと見ながら、おしゃべりする。どんなごはんを食べているのか気になって、夕食が出てくるまでいつもいた。どれもおいしそうで、味見をしたかったけど、ぼろぼろの妊婦の栄養を奪うことになるので、よした。

入院中の日課は、部屋に置かれているiPadで確認できた。イオは新生児室ってところとこの部屋を行き来している。妻には出産翌日から「育児タスク講習」みたいな時間が充てられていて、それをこなしていくことで、退院時までに一通りのことができるようになっているみたい。ぼくのいられる時間の中で必要になったイオのお世話は、できるだけする。そうしないと、家にきたときの育児スキルの差がひらいてしまう。

ミルクはあげられたが、おむつをかえるタイミングがなかった。やってみたいけど、人のうんちを見たことがないから、緊張していた。小さなアクリルケースのようなベッドのようなのの横に、クリップボードがつけられていて表が挟まっている。ミルクは30cc。毎日飲む量と、排泄と体温とを記録するみたい。生まれた日は20ccだったか。どんどん増えるんだと思う。ずっとへその緒から養分をとっていたのに、ミルクの飲み方を知っている。口元に哺乳瓶の乳首を持っていくと、すっと泣き止み、口に含む。

いまいちばんしてみたいこと。母乳をあげること。
この小さな口が、自分のからだの器官に吸いついて、生きていくための栄養を必死にとろうとしている。それを感じてみたい。おっぱいへのあこがれ。一生かなわない。とてもかなしい。

妻とイオが家に来る日。
妻にとっては帰ってくる日だが、イオははじめてなので、来る、といってしまう。すごい晴れ。まぶしくて目を開けていられないくらいの、世界のぜんたいを照らすようなひかりの中、病院のエントランスで写真を撮る。大事な一枚なのに、白飛びする。いただきもののベビーシートがちゃんと後部座席につけられているのか、不安。イオはずっと眠っている。

はじめての沐浴。
下着、うわぎ、おむつ。それを並べて展開図みたいに用意した上で、洗面台に向かう。
着ているものを脱がすと、まるはだかのイオはびっくりするくらい頼りなく見えた。
手足はか細くて、胸もおしりも薄く、おなかだけが少し出ている。未完成で、見てはいけないものを見ているような気がする。生よりも死に近いとすら思う。
それをたいせつにたいせつに洗う。生きられるように、生きられるように。
大事にする手つきと畏れがあいまって、ぎこちないのが自分でもわかる。
イオの顔を見ると、じっとお湯を味わうようにしている。水中にいる方が、まだ全然なじめないこの世界よりも親密さを感じているように見える。

はじめて夜を担当した日のこと。
イオには今、自分のからだのコントロールする力がまったくない。それでも彼女には快と不快を見分ける力があり、それを伝える力がある。泣き声だけが世界と関わる手段のすべて。

2時間おきに、ミルクをあげて、おむつをかえる。それでだいたいすっとまた寝る。でも、どうしても泣き止まなくなった。深夜3時すぎ。少しでも間違えたらパーツがぜんぶばらばらになってしまいそうなからだを抱き上げて、ゆっくりとゆらす。だめ。背中をさする。だめ。ミルクが足りないかと思って少しだけ追加でつくる。飲まない。おむつを見る。ぬれてない。泣き声が大きくなってきた。妻が起きちゃうんじゃないかと焦る。泣きやまない。なにか、ぼくがすごく重要なことを見落としているんだと思う。でもわからない。気づけない。どこかすごく痛いのかもしれない。すごく不快なのかもしれない。わからないし、誰にも聞けない。世界にふたりだけ、みたいな心細さ。かわいそうで申し訳なくて、涙が出てくる。ごめんね、ごめんね。背中をさする。泣きやまない。ぼくが泣いていたら不安だろうと思う。だからせめてちゃんとことばでいおうと思って、気づけなくてごめんね、不安にさせてごめんね、イオちゃん、どれだけ泣いても君のことが大好きよ、といった。自分の声が聞いたことのない優しさを帯びている。

夜泣くのがすごくかわいそう。
朝日が差してくるとほっとする。
朝を待ちわびるのは、自分が大けがをして入院していた時以来かもしれない。

久々に電車に乗った。たくさんの人がいてくらくらし、となりのおじさんがくさくて、口で息を吸う。この全員が、例外なく全員あかちゃんだったということ。
とてもふしぎに思える。今まで知り合った人、全員、新生児だった。

新生児期っていうのが1ヶ月だなんて知らなかった。
それが明日終わる。
明日からイオは乳児になるらしい。かっこいい。1歳までは乳児だそうだ。
ミルクは1回に80cc飲めるようになった。毎日からだが大きくなっていくのが、ふれているとわかる。2、3日見なかったとしたら、きっと見違えるようだろう。

まだタスクは2時間刻み。大きくなると、もっとまとまるらしい。ほんとかな。ミルクとおむつの交換を終えると、イオはまた眠りに戻る。1日15〜17時間くらい眠っているから、起きている時間の方がきっとオフみたいなんだろう。まだ朝とか夜とかないんだと思う。

1日に10回くらい、彼女は起きる。寝るときはすっと、意識が落ちるように眠っていくから、静かにしている。だから、起きたときにだけ、声がかけられる。

ぼくは1日10回くらい、「イオちゃん、おはよう」という。
彼女が泣いて目を覚ますたび、かならず決まって呼びかける。
そうすると心細い深夜でも、朝が来たみたいに感じる。